FUJI TELEVISION Announcer's Magazine アナマガ

エコラ〜Ecological Life〜

サン イチイチ

2017/03/18 17:46
posted by 藤村さおり
先週、電車に乗って子供たちと買い物に出かけました。

車内はいつもの土曜日の風景。
お天気もよかったので家族連れも多く、みんな日常を楽しんでいるよう。


目的地のショッピングモールでランチを、と予定していたものの

想像以上にフードコートが混んでいてなかなか空席を見つけられず、
超ウロウロ&キョロキョロ。

お腹も満たされ少し落ち着いた頃、あまり聞いたことのない内容の館内放送が
静か〜に流れてきました。

「今日は3月11日 東日本大震災から6年となります。

間もなく時刻が14時46分になりましたら 15秒間、

亡くなられた多くの方々に黙祷を……」

そうだ。この日、まさにこの時間。。。

急に胸がつまる思いがよみがえってきました。

激しい揺れ、そして海が牙をむいたような津波。


震災後、牡蠣で有名な岩手県山田町の支援に行った際、
赤ちゃんを抱っこした若いママさんが

「旦那さんは消防士で、あの日 人を助けに出かけたまま帰ってこなくなりました。私働かないと……」と。

こんなに小さい赤ちゃんを残して
そのパパさんはどんなに無念だったことか。

そして、そのママさんの不安げな表情が
ふわっと、その静かな館内放送によって呼び起こされました。

あのママさん、今どうしているのかな。

そしてこの6年目をどのように迎えているかしら。


終始ザワザワしていたフードコートも この瞬間
3割減(私推計)の騒音となり、

遠くの売り場で騒いでいる子供の声が、今日初めて聞こえる程の
ほんの少しの静けさが生まれました。



私たちの仕事は世の中の出来事をお伝えする仕事ですが、

こういう類の話は
まず自分の子供にきちんと伝えていかなければいけないと深く思わされた瞬間でした。


その帰り道、
震災当夜、長野県栄村の大地震に身を震わせたこと(※)、
津波の高さがどの位まできたのか、そして津波が何十キロも川をさかのぼってきたこと、

また粉ミルクを作るために毎日水が必要で、パパが夜な夜な水の買い出しに出かけてくれていたこと、などを説明しました。


年が経つにつれ、被災地の方々は「風化」を恐れていると聞きます。


当事者とそうでない人の「記憶の風化」は別物であると、
気持ちを新たにした6年目でした。



※ 東日本大震災当日、私は産休中で長野県にいました。