マスターズ1000のトロント大会でのこと。決勝でノバク・ジョコビッチに敗れた錦織圭は、準優勝スピーチで「来週はリオデジャネイロ・オリンピックに行きます。いい1週間になればいいと思う」と話した。平凡なスピーチに聞こえたかもしれないが、錦織が初めて自ら口にしたリオ五輪への意気込みだった。3度目のオリンピック。今回ほど難しい決断を求められたことはなかった。
周知の通り、今回は多数の出場辞退者が出た。ミロシュ・ラオニッチ、ドミニク・ティーム、ニック・キリオス、バーナード・トミックといった若手実力者だけでなく、五輪大国・米国のエースのジョン・イズナー、フランスのナンバーワン、リシャール・ガスケも手を降ろし、直前にはロジャー・フェデラー、スタン・ワウリンカも……。理由はそれぞれだが、マスターズ1000のトロントとシンシナティの狭間という日程の背景には、テニス界のオリンピック離れもある。前回のロンドンまで付いていたツアーポイントが外され、同じ週にツアー250を開催することになった。
日本にとって、まして次回が東京大会だけに、オリンピックが重要なことは錦織も十分に承知している。ただ、マスターズ優勝を目標に掲げた今季、得意のハードコートシーズンを逃せば次は10月の上海…。そうした状況で脇腹痛を抱え込んだ。ウィンブルドンで途中棄権した後に「(筋肉が)切れるまでやろうと思った」と洩らしたように、いったんコートに立てば別人になる熱血タイプだ。トロント閉会式での決意は、故障にメドがついた自信に他ならないだろう。
リオ大会のテニスは開会式翌日からのスタートで、休む間もなく本番を迎える。フェデラーが今シーズンの戦線離脱を表明し、錦織は第4シードに入る見込みだ。ラファエル・ナダルは故障明けで準備不良だけに、頂上への壁はやはり自信を取り戻したジョコビッチと休養十分のアンディ・マレーの2強になる。
ジョコビッチはウィンブルドンで敗れて年間グランドスラムの夢は消えたものの、母国セルビアは他競技に有力種目が少なく初の金メダルへの意欲は大きい。トロントの決勝でも、同じ五輪組のビクトル・トロイツキ、ネナド・ジモニッチが応援する姿があった。連覇がかかるマレーも、英国民のオリンピック意識はケタ違いに高いだけにお祭り気分はない。
ポイントも賞金もないオリンピックには、ツアーよりさらに一段高いモティベーションが要求される。今回は参加時点で既にモティベーションが試され、トップ2以外にも要警戒の選手はいる。最右翼が、アルゼンチンのフアンマルティン・デルポトロだ。手首の故障から完全に抜けきらず往年のバックハンドは未完成とは言え、ウィンブルドンでワウリンカを倒した。南米きっての人気者は、地元の声援を背に大舞台で飛躍へのきっかけを狙ってくるし、ツォンガ、モンフィス、シモン、ペールと並べたフランス勢も〈鬼の居ぬ間〉にツアー並みの攻撃を仕掛けてくるのは間違いない。
錦織に吉報が届いた。不参加者が増えたことでランキング100位台の杉田祐一とダニエル太郎に急遽、出場のチャンスが回って来たのだ。前回は添田豪、伊藤竜馬が一緒で賑やかだったが、今回の男子代表は錦織1人だけだった。気心の知れた仲間が合流したことで、女子で好調の土居美咲らとお祭り気分を満喫しながら「いい1週間を」過ごせるのではないか。
(文/武田 薫)