これが俺の生きる道 偏差値30のヤンキーが起こした奇跡の大逆転

これが俺の生きる道 偏差値30のヤンキーが起こした奇跡の大逆転


今から22年前、神奈川県川崎市で暮らす鈴木琢也、当時13歳。
この日、喧嘩をして警察に補導された。
琢也は、両親と3つ上の姉との4人家族。
小学生の頃、生真面目なタイプの母の口癖は「良い高校、良い大学に行って、良い就職をしてね!」だった。
外資系生命保険で営業をしていた父は、普段は物静かだが…何かの拍子でいきなり熱くなり、よく分からない理屈をこねだす人だった。


小学生の頃、覚えているのは、両親がいつも喧嘩している姿だった。
父が勤める会社の給料は完全歩合制。
売り上げが達成出来ない月も多く、家計は厳しかった。
父親は、子供達と遊ぶ事はほとんどなく、食事以外の時間は、ほぼ自室にこもって過ごしていた。


琢也は、学校の勉強はまるでダメ。
さらにクラスのリーダーに嫌われたようで、友だちは1人もいない。
母に励まされ、何とか学校に通い続けるも…小学校で友人ができる事はなかった。


そんな中…姉が突然、ギャルになった。
そして、琢也も中学入学を機に…立派なヤンキーに大変身。
その中学には琢也と同じように、家庭に居場所のない生徒が多くいた。


そして中学1年の冬、喧嘩で警察の世話になった。
ヤンキーになった琢也を両親は許さず、悪さをする度に親とは激しい口論となった。
姉弟がグレた事で、両親の喧嘩は激化。
余計に『家に居場所はない』と感じていくようになった。


その後も全く勉強をしなかったため、世間では偏差値30と言われる、ワルの名門高校へ進学。
卒業後は先輩の紹介でとび職に。
就職した事により少しずつ落ち着き、家族と言い争う事はなくなったが、完全に壁が取り払われたわけではなかった。


そんな中だった…彼の人生を大きく変える出来事が起こる。
父が会社で表彰されることになり、ハワイで行われる表彰式に家族全員で出席することになったのだ。
そして、琢也は初めて父の真実を知った。


父・敏博は、子供達が小さい頃、外資系生命保険の営業マンに転職。
しかし、慣れない仕事になかなか成果を上げられなかった。
仕事を辞めようと思ったこともあったが、妻・博子に止められた。
家族のため、ここで逃げるわけにはいかないと敏博は死ぬ気で営業活動を再開。
より多くの人の助けになるような、新たな保険プログラムの開発も開始。
高校3年分の数学の教科書や専門書などを読み、猛勉強した。
そして、そのプログラムが大きな成功を収め、ついにこの日、ハワイで表彰されるほどの成果を上げたのだ!


初めて知った、父の家族への想いと仕事への情熱。
琢也の中である想いが芽生え、転職し父のような営業マンになると決めたのだ!
そのためにはまず何から始めればいいのか、父にアドバイスを求めた。
すると…まずは新聞を読むことから初めるように言われた。
それは琢也が父と交わした、初めての親子らしい会話だった。


しかし…新聞に書かれている漢字が全く読めなかった。
国語辞典を引こうにも辞書の引き方すら分からず、父に電子辞書で部首索引を教わった。
生まれて初めて、『勉強』というものに興味を持つようになった琢也。
そして、情報処理系の専門学校に入学!
その訳は…「やっぱこれからの時代、ITっしょ!」という直感、いや、ただの思いつきだった。


2年間の猛勉強の末、情報処理の国家資格を取得!
そして…22歳の時、見事、IT系上場企業の営業職に転職!
だが…転職したちょうど2008年、リーマンショックが発生。
琢也の職場も次々に取引先を失い、大混乱。
だが、そんな中で琢也は、ある事に気付いた。
そして突然、アメリカ行きを決意するのである。


アメリカ行きを決意した琢也は、全く話せなかった英語を半年間、猛勉強!
だが、渡米の一週間前になっても、『Something』という単語の意味すら知らなかった。
それでも、今から11年前の6月、琢也は渡米。


一体なぜ、琢也は突然、アメリカ行きを決意したのか?
それは2年前、リーマンショックで、会社が大混乱している時のこと…琢也の目にある光景が映った。
損害を最小限にとどめ、営業成績を上げ続ける優秀な上司たち。
その姿を見た琢也は、“世界のからくり”が分かったと確信。
とんでもない考えにたどり着く。


優秀な上司たちは、みんないい大学を出ていた。
その上司たちが持つ問題解決能力は、大学受験や大学の授業で培われるのではないかと考え、大学受験を決意したのだ!
息子の決意に驚いたものの、父は進学にかかる費用を全額負担することに決めた。


遅くても5年後、29歳で卒業したい、それが琢也の希望だった。
そこで、カリフォルニア大学バークレー校を受験することに決めた。
ハーバード大学やスタンフォード大学と肩を並べる超名門、卒業生にはあの孫正義もいる大学だ。
ちなみに当時、日本でトップの東京大学は、世界の大学ランキング26位。
バークレー校はランキング8位で、遥かにランクは上である。


琢也がカリフォルニア大学バークレー校を選んだ訳とは…
アメリカの大学では、人柄などを総合的に判断するAO入試が一般的。
しかし当然、語学力は必須。
英語が全く出来ない琢也が、すぐに合格するのは不可能だった。
だが、カリフォルニア州には、2年制の短期大学で十分な成績を修めれば、4年制大学に3年次から編入できるシステムが存在。
そこで、1年間を語学学校、次の2年間を短期大学、
編入して大学で2年間学べば、30歳になる前に卒業出来るという計画を立てたのだ!


会社を退職し、超名門大学入学を目指し、準備を始めた琢也。
最初の計画は、1年間語学学校に通い英語をマスターするというもの。
語学学校で生徒は2~6までのレベルに振り分けられる。
レベル5以上に昇格できれば、提携している短期大学に入学できる制度があるため、そこを目指す!
琢也の英語力は案の定、中学生以下、最低のレベル2。
このままだと、バークレー校入学どころか、第一関門でつまずいてしまう。


そこで琢也がとった勉強法、それは…英検ドリル!
24歳にして中学生レベルからやり直すことにしたのだ。
実はこれ、有効な勉強法。
大人はつい “これくらい分かってるよ” と基礎を飛ばしがち。
だが、何事も基礎を飛ばすと挫折する確率が高く、結果、一番非効率なのだ。


そもそも飛ばせるような基礎すらなかった琢也は、中学生レベルの英検3級から開始。
こうして基礎の基礎から、学び直した結果…計画通り1年で短期大学への入学を果たした!


だが、正念場はここから。
短期大学では、まず12科目の一般教養を学ぶ。
バークレー校に編入するためには、2年間その全てで高得点をとる必要がある。
しかも授業で使われる英語のレベルは語学学校より格段に上がる。
そのため…授業内容はほぼ理解出来なかった。
だが…琢也はろくに勉強をしたことがないからこそ、常識に囚われない型破りな勉強術を次々に生み出していった!


授業を理解できない大きな要因の一つが、圧倒的な語彙力のなさ。
膨大な量の単語は覚えたと思っても、すぐ忘れてしまう。
これを攻略するため、琢也が見つけたのが…「忘却曲線」。
これは一度覚えたことを復習する場合、どのタイミングで覚え直せば、どれだけ時間を節約できるかを示したグラフ。
例えば最初に覚えるのに10分かかったことを20分後に覚え直した場合、60%、約6分短縮できる。
すなわち、4分で覚えられるということを表している。


つまり時間をおかずに復習すればするほど、それだけ時間を節約できるということ。
例えば2日経ってしまうと節約率は20分後の約半分、覚え直すのに時間が倍近くかかってしまうのだ。
とはいえ復習にばかり時間を割いてはいられない。
そこで…単語帳を1ページ暗記し、20分後に復習。
翌日、前日の復習を行う一方、さらに新たに1ページ記憶し、20分後に復習と、必ず最低2回は覚え直した。


さらに、覚えた単語は黄色マーカーでチェック。
覚えれば覚えるほど、テキストが黄色くなっていくのが分かり、モチベーションが高まるという仕組み。
実はマーカーを使うのは、父に教えてもらった方法だった。
毎日続けることで、語彙力は飛躍的に向上した。


1日のうち、6時間は睡眠に当てたいとなると、勉強に使えるのはフルでも18時間。
自分では目一杯頑張っているつもりだが、実際はどのくらい勉強しているのか、それを調べるために編み出したのが…「逆カレンダー」。
ウェブ上のカレンダーに未来の予定を書くのではなく、その日、何にどのくらい時間を使ったのか、過去をこまめに記録。
それを一週間続けることで、意外なことがわかった。


例えば『黄色』は勉強している時間。
『青色』は、新聞を読んだり、課外活動など、勉強ではないが学びにつながる時間。
そして『赤色』は勉強とはまったく関係のない時間。
こうして色分けすると、意外と赤色が多く、どれだけ無駄な時間があるかが一目でわかるという仕組みだ。
さらに副産物として、この逆カレンダーを記録することで、どの時間にどんな勉強をすれば、効率がいいかも自然とわかり、時間を無駄なく使えるようになった。


琢也が最も苦労したのが、英語のヒアリングだった。
授業中、講師が何を話しているのか分からない上に…バークレーの街で学生が集まると、すぐにディスカッションが始まる。
彼らは頭の回転が早く、ものすごく早口。
ほぼ、何を言っているのか分からない状態だった。


そんな彼が活用したのが…「TEDトーク」。
TEDトークとは、様々な分野のエキスパートが行った講演を無料で動画配信しているサービス。
この動画には、字幕機能がついていた。
まず、動画からスピーチの内容を段落ごとに書き出す。
次に動画を流しながら発音の真似、これを何度も繰り返し段落全体を記憶。
暗記ができたら、次は動画を流さず、発音の練習。
最後は登壇者になりきってプレゼンをする。


編み出した独自の勉強法により、琢也の成績は徐々に上がっていった。
そして、短期大学入学から約2年。
編入に必要な12科目のクラス全てで、高得点を獲得、クリアするメドをつけた。


バークレー校の編入に必要なクラス、その全てで優秀な成績を修めた琢也。
だが、まだ、最大の難関があった。
それが、パーソナルステイトメント、いわゆる志望動機書、アメリカではこれが重視される。
当然、英語で執筆しなければならないため、ライティング能力は必須。


そこで彼が頼ったのが…ベトナム系アメリカ人、タミーだった。
彼女はバークレー校の現役大学生。
当時、バークレー校には、留学生相手に学生を紹介する制度があり、琢也はそれを利用したのだ。
タミーは、ものすごいスピードで、正しい言い回しに修正してくれた。
彼女のおかげでライティング能力も向上。


そして、ついに、パーソナルステイトメントの執筆に取り掛かる事になった。
琢也は、元ヤンキー、とび職、IT企業、24歳での単身渡米、そんな経歴が武器になると思っていた。
だが…現地で知り合ったバークレー校の現役学生に、最終チェックのつもりで原稿を見せたときのことだった。
「僕が入学審査員なら 君は合格させない」と言われてしまった。
さらに…「タクヤは本当はどうしたいんだ? なんでそんなに頑張りたいんだ? 書くべきなのは、偽りのない君の本心だよ。」と指摘されたのだ。
琢也はその時 気づいた。
自分の人生で一番大切なことに…


志望動機書、パーソナルステイトメント提出から半年後、カリフォルニア大学バークレー校に見事合格した!
短期大学での成績のみならず、パーソナルステイトメントが高く評価されたことが、合格できた要因の一つだった。
琢也のパーソナルステイトメントにはこう書かれていた。
『ぼくは全力で頑張る意欲を家族からもらいました。そのことに感謝したいと思います。家族のサポートなしでは、困難を乗り越え、人生を改善することはできませんでした。小学校の頃、仲間はずれにされ、友だちがいなかったぼくの背中を毎日押してくれたのは母でした。幸い、中学では多くの友だちができました。ところが学校をサボったり、夜遅くまで外を出歩いたり、非行に走ってしまったのです。父とは頻繁に口論し、いつも腹を立てていました。でも今は、父がぼくを見捨てることなく、説教してくれたことに感謝しています。反抗期のぼくを気にかけ、精神的に支えてくれたのは姉でした。彼女だけが唯一信用できる存在だったのです。幅広い知識を持たないぼくが、大学で良い成績をあげるのはカンタンではありません。しかし、自分の全てを勉強に捧げれば、他の学生に追いつくことができます。自分は必ず家族の期待に応えられる、自分にはそれできる、と強く自分自身に言い聞かせました。なぜなら家族の信頼が、ぼくに意欲を起こさせ、更なる努力を呼び起こしてくれるからです。』


その年の夏、鈴木琢也さんは世界トップクラスの公立大学、カリフォルニア大学バークレー校、政治・経済学部の3年生になった。
入学して驚いたのが学校の精神。
社会をより良く変えるために、無償で自分の知識を公開するというものであった。

琢也さんはこう話してくれた。
「感覚としてはノートを無料で見せてあげるみたいな感じ。基本的にはいろんな人たちとの交流をさせる事を意識した大学なので、それを卒業後も自分が何かやるという意味では世の中にインパクトを出せるように動いていきたい。」


そしてこの精神の元、琢也さんの中にある目標が生まれた。
それは…教育。
琢也さん「カリフォルニア大学で僕が何で学べているのか振り返ると、カリフォルニア州の編入制度というのを自分にとっては敗者復活戦制度と捉えていた。そういう制度があることによって僕だけじゃなくて色んな人たちが勉強し直すきっかけを得て、どんどん変わっていく人たちを見た時にすごくいいなと思った。何らかの形で教育というものを通じて、今まで自分が得させてもらったものを返していきたい」


琢也さんは予定通り29歳で卒業。
卒業式には、家族もはるばる日本からやってきて、彼の新たな門出を祝った。
琢也さんは卒業後に帰国。
第一希望だった人材育成支援の会社に就職。
現在は転職しコンサルティング会社で働きながら、ある夢の実現を目指している。


琢也さん「教壇に立てるような人間になりたい。そうなれば自分のようにもう一回変わりたいんだと思った人たちをより現実的にサポートすることが出来て、もともと思っていたような社会に貢献するといったところにも繋がるんじゃないかと思う。」


共にヤンチャをしていた、地元の友人たち。
彼らもまた、琢也さんの挑戦に触発されていた。


琢也さん「地元の友達がちょこちょこ言ってたのは、あいつが留学して戻ってくるまでに、俺たちも何か成果出しとかなきゃヤバいよね、という話はしていたっていってましたね。だからそれぞれが自分の道でかなり真剣に取り組み、いろんな事をやっている。」


留学中、琢也さんの励みの1つとなったのは、両親からの手紙。
そこには、夢の実現に向けひた走る息子へ向けたエールがあった。


琢也さん「日々ずっと勉強していると気付いたら時間立っていたりするので、そういった時に、手紙が届いて自分の健康の事とかを書いてくれているので、見ててくれてるんだなと思いましたね。」


バークレー校の卒業式のあとに、一家で食事にでかけた。
その席で…琢也さんは父から、生涯忘れえぬ言葉をかけられたという。


敏博「琢也を見ているとさ 自分は高校大学時代に言い訳ばっかりして怠けていたなと思うんだよ。それは60過ぎたオレでも同じじゃないか。今からでもやりたい事、知りたい事なりたいもの何でもできるんじゃないか。卒業式に参加してそう思ったよ。」


そんな敏博さん、実は琢也さんが渡米中、息子に触発され、62歳にして、難関と言われる税理士資格に挑戦していた。
我々は琢也さんに、こんな質問をしてみた。


スタッフ「家族はどんな存在ですか?」
琢也さん「家族ですか?今振り返ると、僕の居場所にはなってます。子供の頃ずっと探し求めていた、ない自分の居場所を今はこんな近くにあるんだって思えるようになっているんで、自分の生きる居場所っていうのが家族だと思っている。」


そんな琢也さんには今、人生のパートナーがいる。
中国系アメリカ人のティファニーさん。
2人は琢也さんがバークレー校に編入した直後、友人の紹介で知り合ったという。
すでに就職していた彼女とその後も愛を育み…琢也さんが大学を卒業し、帰国する際に結婚。


スタッフ「どんな旦那様ですか?」
ティファニーさん「すごく優しくて、私が割と心配する方だから、彼がそんなに心配しなくて、行動力がすごくて、すごく新鮮だと思っている。」
スタッフ「行動力がすごいところが惹かれるところだった?」
ティファニーさん「そうですね、すごく魅力的です。」
スタッフ「夫婦としても目標は?」
琢也さん「自分が子供の時から欲しいなって思っていた、温かい家庭を自分自身は作りたいと思っています。」


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