大統領暗殺未遂事件!生き残った兵士の衝撃人生

今から約50年前の1968年冬。
4人の村人が薪に使う木を拾いに山に来た時、2人のゲリラ兵に遭遇、銃で脅され、木に縛りつけられてしまった。

一方、ゲリラ兵たちは、部隊に戻ると、そのことを報告。
民間人に見られたら、殺して埋めるという決まりだったが、季節は冬…地面は凍っていて4人分の穴を掘るだけでかなりの時間を無駄にしてしまう。
そこで、『通報したら殺す』と脅した上で民間人を解放して、速やかに任務を遂行することにした。
こんな山奥で電話もない、警察も近くにはないため、すぐに通報などできないと考えたのだ。
この男達に与えられていた任務、それは…国際社会を揺るがす、恐るべき計画だった。

ゲリラ隊は、念のためこの状況を本部に報告。
程なくして、本部からの指示が暗号で送られてきた。
だが、悪天候で電波が悪く、暗号を聞き取れない。
自分たちで判断するしかなかった。
彼らの下した結論は、任務続行!

のちに、その暗号は『遭遇した民間人を解放したのなら作戦は中止、帰還せよ』という指示だったことがわかる。
そうとは知らず、男たちは進軍し続けた。

彼らは、重装備で山道を1時間に12㎞も踏破できる、精鋭のゲリラ部隊。
驚異的な速さで雪の中を移動した。
途中、警察の検問を受けたのだが、「我々は軍の諜報部隊だ。偵察を終え、隊に戻るところだ。」と言うと…特に変わった様子もなかったため、警察は彼らを通してしまった。
こうして1月21日未明、ゲリラ隊は検問を突破、任務決行の目的地まであと数キロのところに迫った。

ゲリラ隊は、パトロールをしていた警察に止められた。
パトロールをしていたのは、このあたり一帯を管轄する警察署長一行だった。

実はあの時、命からがら解放された村人たちは、事前に『不審なことがあれば申告せよ』との通達があったこともあり、勇気を持って警察に通報していたのだ。
通報の内容は、直ちに警察上層部へと伝えられた。
そのため首都近辺では厳戒態勢が敷かれていた。

ゲリラ隊は、検問の時と同じ手で警察をかわそうとした。
だが、警察署長の顔を知らない諜報部隊がいるわけがない…警察署長に問い詰めらたゲリラ隊は、署長に向け発砲、逃走した。

ゲリラ隊は、必死に逃げたが、銃声を聞きつけた警備隊や米軍が大挙して駆けつけ、激しい銃撃戦が始まった。
やがて、大多数の武装ゲリラが射殺され、1人のゲリラ兵が近くの山に逃げ込んだ。
軍隊は、山に逃げた男を懸命に捜し、投降を呼びかけ続けた。

そして、山に逃げ込んでいたゲリラ兵は投降。
男の名はキム・シンジョ、26才。
北朝鮮・朝鮮人民軍の兵士だった。

当時の北朝鮮の指導者はキム・イルソン、現在のキム・ジョンウン委員長の祖父である。
そして韓国の大統領はパク・チョンヒ、今年罷免されたパク・クネの父親だった。

第二次世界大戦後、ソ連などが支援する北朝鮮と、アメリカなどが支援する韓国に分断された朝鮮半島。
両国による朝鮮戦争は15年前に休戦になっていたが、その後もたびたび軍事衝突が発生。
依然、緊迫状態は続いていた。

この事件で、韓国の警察署長が殉職したほか、韓国軍兵士、米兵、民間人など30名以上が死亡。
一方、北朝鮮ゲリラは31名中、29名が射殺、及び自決で死亡。
韓国側は、キム・シンジョ 一人は確保したものの、残るもう一人は取り逃がし、北朝鮮への逃亡を許す結果となった。

では一体なぜ、北朝鮮ゲリラは死を覚悟してまで韓国に侵入したのか?
彼らは大量の銃器を所持していた。
という事は、首都で民間人を無差別に殺害、韓国内を混乱に陥れる事が目的だったのか?

事件翌日。
大勢の報道陣の前で、手錠をされたままキム・シンジョの記者会見が行われた。
この会見で31名もの特殊部隊を潜入させた、北朝鮮の驚くべき目的が明らかとなる。

キム・シンジョ自らが語った目的、それは、パク・チョンヒ大統領の暗殺。
そう 31名のゲリラ兵は、北朝鮮が韓国のトップを暗殺するために送り込んだ精鋭部隊だったのである。

実は、キムが自らの任務について語ったのは、これが初めてだった。
本来それは、国家の最重要機密である。
にも関わらず、彼はなぜ、わざわざカメラの前で話したのか?

会見から数日後、キムの取り調べが行われた。
取り調べを担当したのは、大韓民国中央情報部のカン・インドク。
村人からの通報を受け、大統領官邸の警備を徹底させた人物である。

カンはキムにこう語りかけた。
「君は 誰も殺してはいないし一発の弾丸すら撃っていない。早く 自由になれると思うよ」
だが、会見では任務の目的を素直に明かしたにも関わらず、キム・シンジョはいかなる質問にも一切答えることはなかった。

キムは、取り調べでの頑なな態度を変えることなく、10日が経過した。
すると…何とカンはキムをソウルの繁華街、ミョンドンに連れ出した。

居酒屋に入ると、キムは不思議そうに周りを見回していた。
キムは、店に入る客が普通の市民だと知ると、こう言った。
「バラックに住んでる連中がこんなところで飲めるはずない。」

実は…キムは北朝鮮でこう教わっていた。
「韓国民はアメリカに搾取され、全員がバラックに住み、飢えに苦しんでいる。よって韓国民を開放し南北統一を実現するのだ。」
しかし、実際のソウルでは、大勢の市民が外食を楽しんでいたのだ。

やがて…客たちは、まさか本人がいるとは思わず、事件のことを話題にし始めた。
彼らは、北朝鮮ゲリラのことを『野蛮な共産ゲリラ』と呼び、北朝鮮は恐ろしい国だと話していた。

だが北朝鮮での教えは…
「韓国民を開放し、南北統一を実現する事が我々の使命だ。」
「そこでパク・チョンヒ大統領を暗殺する 韓国民を解放するんだ。君たちの事は、必ずやソウルの労働者や市民が助けてくれる。」

キムはその教えを信じていたからこそ、投降の呼びかけに応じ、会見で大統領の暗殺が目的だったと明かしたのだ。
暗殺は失敗したものの、市民は支持してくれると信じていたのだ。
だが、実際は、市民は大統領の暗殺など望んでおらず、バラックなどに住んでいない。
キムは、混乱し始めていた。

そんな頃だった。
韓国政府が、29人のゲリラ兵の遺体を両国の軍事境界線上にある、パンムンジョムで返還しようとしたところ…
北朝鮮は、遺体の引き取りを拒否。
北朝鮮の主張は、『事件は韓国のでっち上げ』、『キム・シンジョなどという男は知らない』というものだった。

そのことをキムに知らせると…「ずっと騙されていたのか」と、泣き崩れた。
北朝鮮による洗脳が溶けた瞬間だった。

北朝鮮の工業都市・チョン・ジンに生まれたキム・シンジョ。
機械専門学校を卒業後、20歳で軍に入隊。
5年後、優秀な成績で特殊部隊に選ばれた。
家族もそんなキムを誇りに思っていた。

そして、半年間の過酷な訓練の末、パク・チョンヒ大統領の暗殺を命じられた。
命令を受けた時のことを、こう語っている。
「衝撃を受けて、全員が沈黙状態だった。」

この事件の責任者であり、キムさんの取り調べを行った、カンさんは、北朝鮮で行われている洗脳の恐ろしさについてこう語る。
「北朝鮮では、市民に対して、指導者を徹底的に崇拝するような教育が行われます。例えばこうです。家にキム・イルソンとキム・ジョンイルの写真が飾ってある。その下で子供が寝ていて、急に火事になった。とても消せる状態ではない。こんな時、何を一番先に避難させますか?北朝鮮では、真っ先に写真を助け出すようにと教えられるのです。子供が先ではないんです。幼い頃からそんな教育を受けている彼らにとって、上からの命令は絶対、たとえそれが暗殺の指令であっても、遂行しなければならないものなのです。」

では一体、どうやって、彼らゲリラ兵は韓国軍とアメリカ軍が警備を行っている、この軍事境界線を突破したのか?
5年前、キムさんは取材でこう語っている。
「韓国軍と、米軍の管轄地域の境目を狙い、警備の死角を突いて突破しました。」

鉄条網を切断する音で、見張りに気づかれるのが心配だったが…
「当時は真冬だったので、米軍の暖房のモーター音が大きく、音をかき消してくれました。あっと言う間に全員韓国側へ渡る事が出来ました。」

そして暗殺の作戦は以下のようなものだった。
私服に着替え、酔った市民を装い大統領官邸に接近。
仲間同士で喧嘩しているフリをして機会を伺い、奇襲をかけ…大統領を殺害したら、車両を強奪し逃走、その日のうちに北朝鮮に帰還する。
そして大統領を失い、動揺する韓国に軍による総攻撃を仕掛ける、という計画だったという。

その後、キム・シンジョは、韓国の刑務所に入れられた。
しかし、銃を一発も撃っていないことなどが考慮され、2年後に恩赦を受け釈放の身となり、韓国の居住資格を得た。

政府の紹介で建設会社に入り、新たな生活が始まった。
エリート兵士だったプライドを捨て、過酷な仕事にも耐え、ひたむきに働いたキム。

自立した生活が出来るようになった頃、1人の女性と初めて対面を果たした。
チェ・ジンファ、刑務所にいた頃からキム・シンジョにずっと励ましの手紙を書いてくれていた女性だった。
キムは彼女の優しさに、そしてチェ・ジンファは、彼の誠実さに惹かれた。

そして二人は、ソウルで結婚した。
一男一女を授かり、慎ましくも穏やかな生活を手に入れた。
一方、緊張状態にあった南北関係は、アメリカ政府などの働きかけもあり、両国の話し合いが実現、ようやく緩和された。

結婚から数年が経った頃だった。
北朝鮮から亡命してきた男性が、キムを訪ねてきた。

実は、1970年頃から韓国と北朝鮮の間で経済格差が出始めていた。
韓国は「ハンガンの奇跡」と呼ばれるほどの、発展を遂げる一方…北朝鮮は経済政策の失敗などにより、人々の生活が困窮。
結果、豊かな韓国へ亡命する者が出始めた。
いわゆる脱北者である。

しかし、亡命は成功しても、社会に馴染めない者も多かった。
その理由をカンさんは、こう話してくれた。
「北朝鮮では言われたことをやるだけでよかった。学校では学校の指示に従い、職場では職場の指示に従う。でも韓国に来たらそうはいかない。自分で考えて行動しなければならないんです。ですから脱北者が韓国に来ても、社会に慣れるまでにかなり時間がかかるのです。」

脱北者の男性は、「悩みを聞いてもらえて、気が楽になりました」と言った。
さらにこんなことも言ってきたのだ。
「キムさん くれぐれも夜の一人歩きはお気をつけ下さい。北が貴方の命を狙っているかと。」
キムは、隠していることはもうないため、自分が口封じで狙われるとは思えなかったのだが…脱北者の男性によると、口封じのためではなく、見せしめのために命を狙われているというのだ。

北朝鮮には、かつてのキムのような特殊部隊の隊員が数多くいる。
隊員たちに対し、国家機密を漏らしたら命を狙われる、そう思わせる必要があったのだ。

それだけではない、北朝鮮の裏切り者に対する仕打ちは徹底していた。
キムが、脱北者を通じて知ったのは、あまりに残酷な事実だった。

事件から2年後、両親が銃殺され、兄は収容所へ送られていたのだ。
キムのように北朝鮮の兵士が、生きたまま韓国で捉えられた例が公式に発表されたことはなかった。
そのため、彼自身も投降したら家族にまで危害が及ぶとは、想像すらしなかったのだ。

両親と兄がたどった、あまりに悲劇的な運命…そして北朝鮮の暗殺者が殺しに来るかもわからない恐怖。
その苦悩から逃れようと、キムは酒浸りの生活となっていった。
自分が情けなかった。親として夫として。

1974年、式典で演説中のパク・チョンヒ大統領が襲撃される。
大統領は難を逃れたが、同席していた夫人が射殺された。
捜査当局は、北朝鮮の関与があったと発表。

せっかく緩和していた南北関係が再び緊迫、北朝鮮への感情が悪化すると…子供たちが、イジメを受けるようになった。
両親に続いて、妻子まで…自分のせいで周りが不幸になる。
キムは何度も自殺を考えたという。

そんなある日、妻に教会に行こうと誘われた。
妻は この頃、教会に通っていた。
心が落ち着く場所を探していたようだ。
キムも、それで問題が解決するとは思ってはいなかったが、妻なりに考えてくれたことに、乗ってみようと思い、教会に行くことにした。

そんなある日、教会に行くと、牧師と話をしていた男性が「いろいろと話せてすっきりしました。ありがとうございました。」と言いながら出てきた。
キムは、その男性の表情をどこかで見たような気がすると思った。

『悩みを聞いてもらえて、気が楽になりました』
それは、自分を訪ねて来た、あの脱北者の表情だった。
決死の覚悟で亡命したものの、韓国では仕事も見つからず、途方に暮れていた脱北者の彼は、同じくかつて北朝鮮にいながら、韓国で生き抜くキムに話を聞いて貰ったことで安堵したに違いない。

1980年代に入り、ますます南北の経済格差は広がり脱北者も増えた。
しかしその大半は、韓国社会に適応できず苦悩していた。
だからこそ、脱北者の悩みに耳を傾ける…それが、自分にしか出来ない『使命』なのかもしれない、そう思った。

自分には、支えがなかった。
ならば、自分が脱北者の支援をすればいい。
出来るだけ大勢の脱北者の相談に乗るには、教会がいいと思った。

韓国では、日本以上にキリスト教が普及している。
そこで、キムは牧師になろうと決意した。

しかし、それは容易なことではなかった。
牧師になるには、当然 資格が必要で、神学校に通い、学ばなければならない。
キムは猛勉強を始めた。
目標が出来たことで、生活態度も一変。
そこには、妻子への罪悪感から酒に溺れた、かつての男の姿はなかった。

コツコツと、脱北者の相談に乗りながら勉強を続けたキムは、神学校を卒業すると、52歳で牧師の資格を取得した。
妻と教会に通い始めてから、実に16年もの歳月が経っていた。

彼が牧師に成り立ての頃だった…キムの取り調べを担当したカン・インドクが教会を訪ねて来た。
この時、彼は極東問題研究所の所長を務めていた。
キムの行動を聞きつけ、祝福に来たのだ。

その後、キムは牧師として、自らの経験を生かし、脱北者の悩みを聞くなど支援を続けた。
その数、のべ600人以上に及ぶという。

事件から今年で約50年。
現在75歳になったキム・シンジョさんは、今も教会で牧師として活躍。
広く韓国の人々の相談に乗っているという。

今回、番組でキムさんに取材を申し入れたが、今も北朝鮮に命を狙われる可能性があるとの理由から、応じてもううことは出来なかった。
そしてキムさんの洗脳を解いた、カンさんは…現在、北朝鮮専門大学院の名誉研究員として、南北問題の解決を図るべく、日々、研究を続けている。

カンさんは、最後にこう話してくれた。
「北朝鮮も人間が生活しているところです。私たちの社会と同じで人間社会で起こるあらゆる事が起こります。彼らが悪人だというなら、それは教育によるものです。ただ命令を遂行しているだけであって、その人自身が悪人だからではない。違う体制の中で育ったから、考え方や行動が異なる、私たちはその事を認識する必要があると思います。」


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