奇跡の会社 日本一幸せな従業員とは?

神奈川県・川崎市にある日本理化学工業。
社員85人の中小企業だ。
今から81年前に、現在 社長を務める隆久さんの祖父が創業。
チョークを製造する会社であり、当時、日本にはなかった粉が飛び散りにくい『ダストレスチョーク』を開発、日本中に定着させた。

その後、後を継いだのが、隆久さんの父にあたる泰弘さん。
だが、80年代にホワイトボードが登場すると、それまで主流だった黒板が減少。
90年代に入ると、チョークの需要は激減していた。

そんな頃、隆久さんはアメリカに留学中だったが、父の頼みを受け帰国、経営に加わった。
アメリカでマーケティングの勉強をしてきた隆久さんは、会社の行く末に大きな不安を抱いた。

実は、父・泰弘さんは、ある時期から知的障害者を雇うようになっていた。
隆久さんが入社した時には、社員の約7割、63名が知的障がい者。
彼らは主力商品であるチョークの生産に関わる重要な仕事を任されていた。

隆久さんは考えた。
少しでも利益を上げるには、健常者が占める割合を増やし、仕事の効率を上げなくては…と。
そこで、父にそのことを提案してみたのだが…父・泰弘さんは「彼らは我が社に必要なんだ」と言って譲らなかった。

知的障がい者を多く雇う理由、それを説くために父は会社の過去を語り出した。
父・泰弘さんが会社を任されてまもない1959年のこと。
近くにある『養護学校』の教諭が『知的障がいを持つ生徒たち』の就職の相談に来たのだ。
責任を持てないと思った泰弘さんは、依頼を断ったのだが…教諭は諦めず、何度もやって来た。

知的障がいを持つ生徒たちは、卒業後、就職先がない場合、親元を離れて一生施設で暮らすことになるという。
彼らは働くということを知らないまま生涯を終える…

教諭は、雇用するのは無理でも、彼らに働く体験をさせてもらえないかと頭を下げた。
泰弘さんは、体験ならと承諾した。

こうして、約2週間という期間を設け、15歳の知的障がい者2人を体験研修という形で預かることにした。
知的障がい者は一般的に読み書きや計算などに支障がある場合が多い。
そこで、ラベル貼りを任せることにした。

ラベル張りを任された知的障がいを持つ2人の少女。
彼女たちは真剣な眼差しで集中力を切らさず、こちらが止めるまで一心不乱に働き続けた。
さらに印象的だったのが、褒めてあげた時の満面の笑顔。
見ているだけで社員たちは癒された。
そして、研修が終わると…社員たちが彼女たちを雇って欲しいと、泰弘さんの元に直談判にやって来たのだ。

こうして、泰弘さんは少女たちを雇うことを決めた。
社員となってからも、少女たちは毎日休まず働いた。
ある日のこと…泰弘さんが出社すると、すでに少女たちが会社の玄関で待っていた。
聞くと、7時には出勤していたという。
泰弘さんは、「出勤は8時半だからね」と念をおした。

泰弘さんには、障がい者を働かせている罪悪感があった。
同情心で雇ったものの、本当に彼女たちにとってこれが幸せなことなのか?
なぜここまで一生懸命働こうとするのだろうか?

悩んでいた時、たまたま知り合いの住職と話す機会があった。
住職は泰弘さんにこう言った。
「人間の究極の幸せとは以下の4つです。人に愛されること。人に褒められること。人の役に立つこと。そして、人から必要とされること。障がい者の方たちが施設で保護されるのではなく、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて本当の幸せを求める人間の証しなのです。」

泰弘さんには、思い当たることがあった。
彼女たちは何気ない褒め言葉でも心から喜んでくれた。
だからこそ…時間を間違えたのではなく、つい早く来てしまうほど仕事をするのが楽しみになっていたのだ。
健常者には当たり前すぎて気づくこともできない『幸せ』を手放したくなくて、2人の少女は頑張っていた。
こうして泰弘さんは、知的障がい者を毎年1人、また1人と雇用していったのだ。

しかし、幾多の問題が持ち上がった。
読み書きや計算が苦手な彼らにできる仕事は限られ、覚えさせるのは一苦労だった。
中でも特に手のかかる人物がいた。
小松さんという男性は、重度の行動障がいで、自分のペースを乱されると暴れ出してしまうのだ。

泰弘さんは、「小松くん、家に帰ってしっかり反省したら会社に戻ってくるんだよ」と言って、小松さんを家に帰した。
そして、数日後には職場に復帰するのだが…また暴れては帰される、この繰り返しだった。
それでも泰弘さんは、小松さんをクビにはしなかった。

長く勤める社員たちは、泰弘さんの気持ちを理解してくれていたが…後から入ったパート従業員の多くは、障がい者を雇った経緯を知らず、不満が出るようになっていった。
小さな町工場では、パートさんに辞められては仕事が回らなくなる。
そこで泰弘さんは一計を案じた。

障がい者と一緒に働く従業員全員に、『お世話手当』として、臨時ボーナスを出したのだ。
ほんの気持ち程度の額だったが、それでも…泰弘さんの気持ちはパートさんたちに通じた。
こうして全ての従業員が知的障がい者を雇うことに理解を示してくれた。

しかし…それは本当の意味での問題解決にはならなかった。
佐藤さんという社員の仕事は、製品の箱詰めを補助すること。
箱詰めをする際、製造過程でチョークを固定していた器具を外すのだが、それを回収するための空箱を準備し、作業の流れにそって運搬するのが佐藤さんの仕事だった。
だが彼は、精神的な不安などから仕事を休んでしまうことが多かった。
あまり休まれると、フォローする社員の負担が増えて業務に支障をきたしてしまう。

世話をしないと働けない…お手伝いのような仕事では、本当の意味で働く喜びは得られないのではないか?
とはいえ、文字が読めない、数を数えられない社員が自分で作業できるようになるにはどうしたらいいのか?
人に必要とされる幸せを社員全員で感じたい…理想は早くも行き詰まってしまった。

ある日、泰弘さんはあることに気がついた。
知的障がいを持つ従業員は、たとえ文字や数字が読めなくても、毎日信号を渡って会社に来ている。
つまり、色の識別はできているのだ。
そこで、粉の測り方を色で区別する方法をとってみたらどうかと考えた。

そして、チョークの原料を正確に計量させるために、原料が入っているバケツの色と分量を量るおもりの色を同じにしてみた。
すると、文字が読めない少年でも、色を頼りに原料を間違いなく計量できるようになったのだ。
これに気づいたことが、全てのヒントになった!

数を数えられない社員には、作業の度に数字カードをめくらせる。
こうすれば、回数を間違えずに済んだ。
時計が読めない社員には砂時計を使った。

こうして、やりやすい環境を整えたところ、障がい者たちは十分に理解し、仕事を正確にスムーズにこなすことが出来た。
しかも、1つできることがあると自信を持ち、安心して他の作業を学ぶことができる。
おのずと彼らは、健常者たちに世話をかけることもなくなり、自分たちが役に立っていると実感できるようになった。

そして、今まで休みがちだった佐藤さんが出勤してきた日のこと。
仕事を休むといかに他の人が困るかを教えるため、社員の1人が佐藤さんに一旦 作業から外れるように指示をした。
製品の箱詰めをする際、製造過程でチョークを固定していた器具を外す、それを回収する空箱を準備するのが彼の仕事だったが…
数分後、外された器具を入れる空箱がないため、製造ラインには器具が溢れかえった。

この様子を見ていた佐藤さんにある変化が…なんと毎日休まず出勤し始めたのだ。
一生懸命に働く姿は誇らしくもあった。
必要とされていることが伝わったのだ。

そんなある日のこと…いつもより少々元気がないように思えた。
佐藤さんは高熱が出ていたのにも関わらず、出勤してきたのだ。
母親によると、朝起きた時から具合が悪そうだったという。

このことで泰弘さんは気づかされた。
彼らはひとたび自分が必要とされていると感じたら、どこまでも純粋にひたむきに頑張ろうとするのだ。
そんな障がい者の成長は、健常者の社員にとっても何よりの喜びとなった。
こうして、チョークの製造ラインは、ほぼ知的障がい者の社員だけで賄えるようになった。
父が語った、障がい者を多く雇う理由…やり方を頑なに変えない父の姿勢を隆久さんは理解することができた。

日本化学工業を訪ねてみると、そこにいたのは、重度の行動障がいを持ち、暴れては帰されていた、あの小松さんだった!
何度 同じ事を繰り返しても、社員たちは彼を信じた。
何ヶ月も、何年も…次第に『役に立ちたい』、その思いが忍耐力となり、苛立ちを抑えることができるようになったのだ。
そして入社から5年後には、行動障がいを克服。
今では製品の検品のほか、他の従業員の手助けまでこなしている。

勤続37年の小松さんは、昨年末の忘年会で会社から2つの表彰を受けた。
皆勤賞に加え、戸締まりや清掃など細やかな取り組みも評価されたのだ。
日本理化学工場では、他にも一人一人の個性を大切にし、毎年 様々な表彰を行っている。

隆久さんの代になっても『知的障がい者』の雇用を続け、現在、その数は全社員の7割を超えている。
しかも、生産効率を年々アップさせ、チョークの国内シェア、トップを誇っているのだ。

そして、隆久さんは、主力であるチョークを学校だけでなく、家庭でも使って貰えるように様々な商品を開発。
さらに、ホワイトボードやガラスなど、ツルツルした所にも書け、簡単に消すことが出来るマーカーも製品化。
『キットパス』と名付けた。

こうして、チョークを軸に新たな商品を開発。
隆久さんが入社した時期と比べれば、売り上げを3割伸ばし、今や年商8億円の優良企業に成長している。
しかも驚くことに、主力製品をほぼ100%知的障がい者たちが作っているのだ。

先進国で障がい者の雇用に取り組む企業は数多くある。
しかし、知的障がい者が健常者よりも多く、かつ成功している例は少ない。
一昨年には、経済学者などで構成される人を大切にする経営学会から、『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞、審査員会特別賞を受賞した。

隆久さんは、最後にこう話してくれた。
「みんな同じじゃないし、それを受け入れるってことがすごく大事なことなんだと思う。自分の価値観を押し付けるようなことをしても全く意味のないことなので、違いを知ることが出来ればすごくいい信頼関係が生まれると思う。信頼が出来ればその人が持っているものをもっと良い形で出してもらえる。それが力になって会社の力にもなるし、それがみんなの幸せに繋がっていくと思う。」

そんな会社の入り口に立つ像には、父・泰弘さんの思いが添えられている。
『導師は人間の究極の幸せは、人に愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人から必要とされることの四つと言われた。働くことによって愛以外の三つの幸せは得られるのだ。私はその愛までも得られると思う。』

日本理化学工業では月間MVPを設けている。
今年の3月に受賞したのは、入社6年目の斉藤瑠偉さん。
月間MVPをは、目標に向かって頑張れば貰えるという。
斉藤さんが掲げた目標とは…『ほうれんそう 報告、連絡、相談』だった。
人とのコミュニケーションが苦手だという斉藤さんは、『ほうれんそう』を通して、他の従業員とのコミュニケーションを頑張ったという。

今年も会社には1名、知的障がい者の新入社員が入った。
その教育を任されたのが斉藤さんだ。
人とのコミュニケーションが苦手だった斉藤さんが、見事に新人教育をこなしている。

実は、斉藤さんが後輩を指導できるほどに成長した裏には、ある人の存在があった。
あの小松さんである。
掃除など細やかな取り組みを表彰されていた小松さんの背中を見て、成長していったのだ。
人から必要とされる幸せ、働く喜びは次世代に引き継がれている。

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