謎を解け!真冬のミステリー2時間スペシャル『ディアトロフ峠事件60年目の真実』


今から59年前の寒い冬の夜、旧ソ連中部にあるスヴェルドロフスクから、10人の若者がスノートレッキングと呼ばれる、冬山登山に出発した。
目指すはスヴェルドロフスクから500キロほど北、ウラル山脈にあるオトルテン山の山頂。
パーティーは冬山のエキスパート、隊長のイーゴリ・ディアトロフや、地質学に詳しいユーディンなど男性8名、女性2名の計10名。
みんなウラル工科大学などで学ぶ大学生だった。
この登山の目的は単なるレクリエーションではない。
彼らは、ソビエト共産主義のもと強化された「スポーツマスター」と呼ばれる、アスリートを育てる資格の取得を目指していた。
今回の、オトルテン山へのアタックは、成功すれば全員がその資格を得ることができる、極めて重要なテストだった。
隊長のディアトロフは経験豊かで人望もあり、隊員からの信頼は厚かった。


出発から5日後、ディアトロフ隊は最後のポイントに到着。
翌、1月29日。
この先は人が踏み入らない山。
いよいよ過酷なアタックが始まった。
だが…リューマチなどの持病を持つユーディンが腰と脚の痛みを訴え離脱。
9名になったディアトロフ隊は、再び、オトルテン山を目指し出発。
その時、マンシ族と遭遇。
マンシ族とは、この地域の先住民。
狩りを中心に素朴な生活を営む民族だった。
マンシ族は彼らに「ホラチャフリ峠には気をつけろ。我々の間では死の山と呼ばれている。」と忠告した。


そして…山中に入ってから4日目、午後4時半頃。
一行はオトルテン山の山頂を望む、ホラチャフリ峠に到達。
そこは、樹木も生息せずさえぎるものはなにもない雪原だった。
これは近年撮影された、ホラチャフリ峠の写真。
近くに山はなく、あるのはただなだらかな丘だけ。
彼らはこの丘を風よけにテントを張った。
後に…ここが“ディアトロフ峠”と名付けられるとは、夢にも思わず。
若者たちは、明日の登頂成功を確信していた。
しかし、下山予定日から8日たっても、ディアトロフ隊は帰還しなかったのだ。


早速、捜索隊が出動。
だが、この段階では彼らはディアトロフたちがまだ生きていると確信していた。
捜索隊よりも雪山経験が豊富なメンバーばかりだったからだ。
6日後、搜索隊は、一行が最後にキャンプを行った峠で、テントを発見した。
テントは一部が破れてはいたものの…中はまるでさっきまで彼らがここにいたかのような状態だった。
すると、テントから20mほど下ったところにディアトロフ隊のものらしい足跡がのびていた。
辺りは、マイナス30度にも達する極寒の地、なぜテントを離れるような真似をしたのか?
足跡を追って行くと、テントから1.5㎞ほど離れた所でリーダーのイーゴリ・ディアトロフの遺体が発見された。


その後、テントの1.5キロ圏内から、さらに3名の遺体が発見された。
だが、捜索隊は遺体の状況を一目見て、普通ではないことに気づいた。
遺体のほとんどが、防寒着を羽織っていなかったのだ。
そして最初の4名の遺体発見から6日後にもうひとり。
残り4名の遺体が発見されたのは、さらに2ヶ月後のことだった。
9名全員に共通していたのは、発見時、みな薄着で靴を履いていなかったということ。
さらに、明らかに脱ぎ捨てられたと思われる衣服も見つかった。


あまりにも不可解なこの事件、捜査を担当したのが、レフ・イヴァノフ捜査官だった。
死因は9人中6人が、低体温症からの凍死。
谷底で見つかった4人のうち3人は、肋骨や頭蓋骨の骨折など、強い外力を受けたことによる大量出血がその死因だと考えられた。
そしてなぜか、殆どの遺体は皮膚が黒っぽく変色し、中には髪が白くなった遺体もあった。


死因は判明した…しかし、異様な遺体の状況に、謎はかえって深まるばかりだった。
そして、最大の疑問は…なぜ彼らは温かく安全なテントから外に出たのかということだった。
テントは吹き飛ばされていないとはいえ、この日の風速は15mほど。
歩くのは困難なばかりか、気温はマイナス30度にもなる。
そんな中、なぜ彼らは薄着で、靴も履かず出て行ったのか?
テントには引き裂かれたような、穴が開いていた。
イヴァノフ捜査官は、その穴が気になっていた。
イヴァノフ捜査官は、彼らの死は事故ではなく、殺人ではないかと疑っていた。



冬山のエキスパートである彼等が、なぜ薄着のまま靴も履かずに死んだのか?
捜査の焦点は、ほぼその1点に絞られた。
そして事件発生から数カ月後、イヴァノフ主任捜査官が突如、首都モスクワから呼び出しを受けた。
程なく、彼は再び、捜査本部に戻ってきたのだが…彼は人が変わったかのように、捜査に消極的になっていたという。
そして、事件発生から4ヶ月後、イヴァノフ捜査官は、9人の命を奪った犯人について驚くべき発表をする。
それは…「未知の不可抗力」。
事件の原因をそう結論づけ、詳細を究明しないまま、捜査に幕を下ろしたのだ。
背景にソ連当局の圧力があったことは明らかだった。
こうして…≪ディアトロフ峠事件≫の真相は、闇に葬り去られることになったのである。



ソ連当局の圧力によって、闇に葬り去られることとなった≪ディアトロフ峠事件≫。
それから約60年、世紀のミステリーの真相を突き止めたと語る人物が現れた。
この事件に迫った書籍「死に山」を著した、アメリカ在住の映像ジャーナリスト、ドニー・アイカー氏。
アイカー氏は3年に渡り事件を調査。
ロシアを何度も訪れ、遺族や関係者、研究者たちを取材。
さらに事件が起こったディアトロフ峠の現場にも足を運んだ。
それぞれの説を徹底的に検証した結果、以外な事実が浮かび上がってきた。



真っ先に疑われたのがオオカミ、もしくは熊による獣害である。
ウラル山脈のこの辺りは、凶暴なオオカミや冬眠しなかった灰色熊などが出没する可能性があった。
テントの灯りに吸い寄せられるように現れた獣が、鋭い爪で布を切り裂き…ディアトロフたちは、必死に逃げ出した結果、戻れなくなったのではないか?という説である。
そして、ウラル山脈の山中に住む先住民、マンシ族の襲撃にあったのではないかという説。
事実、彼らはマンシ族と遭遇しており、日誌にも何度もマンシ族の名は登場していた。
極寒の地に生まれ、山の構造も知り尽くす彼らが、ディアトロフ一行を襲い、金品を盗んだのではないか?という。


しかし、獣や人間が外部から襲撃したというこれらの説には、それが不可能だという証拠があった。
それは…あのイヴァノフ捜査官も捜査の鍵になると睨んでいた、“テントにあいた穴”にあった。
テントを鑑識が徹底的に調べた結果、テントは鋭い刃物で、内側から切り裂かれていたと断定されたのだ。
またマンシ族に至っては、温和な部族として知られ、ディアトロフらの捜索に率先して協力していたのだ。
そして2つの説を否定する重要な証拠が存在する。
それは、テント周辺には、隊員たちの足跡しかなかったのである。
獣やマンシ族の襲撃、いずれの可能性も極めて低いと考えられた。


続いて浮上した説が…人間関係のもつれ。
美人の女性隊員に隊長のディアトロフ他、2名の学生が恋心を抱いていたという。
彼女をめぐり喧嘩がはじまり、テント内がパニック状態になり、結果、彼らは外へ飛び出していったのではないか?という説である。
しかし、ソ連は共産主義国家、「恋愛」を大っぴらに口にするのは、憚られる雰囲気があった。
さらに、将来の人生に影響する資格のテスト中に、女性を巡って喧嘩になることは考えにくい。
こうして「人間関係のもつれ説」も否定された。


では、彼ら9名の生命を奪ったのはいったい何なのか?
ソ連当局が「未知の不可抗力」として、捜査を早期に打ち切ったのはなぜか?
アイカー氏によれば今なお、最も強く信じられている2つの説があるという。
旧ソ連の核実験説。
当時は米ソ冷戦の真っ只中…兵器開発競争が勃発していた時代だった。
実は、旧ソ連時代、ウラル山脈の裏側に、弾道ミサイルの発射基地があった。
彼らがキャンプを張ったのは…まさにそのミサイルが上空を通過する場所だった。
あの夜…核ミサイルの実験が行われ、誤爆。
強い放射線を浴び、失明したことで、パニック状態になったのではないか?と言うのだ。
放射線を浴びたため、遺体は黒く変色し、髪も白くなったのではないか?そう疑う遺族は多くいたという。


さらに…イヴァノフ捜査官は、殺人に重きを置きながらも、他の可能性も捨てず、様々な情報を集めようとしていた。
その中の1つに、遺体が身につけていた衣服の放射線量の検査があったのだが、モスクワから呼び出され、捜査本部に戻ってきた彼は…以後、一切の捜査を中止。
「未知の不可抗力」と結論づけ、事実上、捜査に幕を下ろした。
だがその数日後、遺体の衣服から通常の約2倍の放射線が検出されていたことが判明するのである。
やはり旧ソ連は、イヴァノフを呼び出し、何らかの核兵器実験を隠蔽するため、捜査を打ち切ったのか?


さらにもう1つ、この2倍の放射線を根拠に根強く囁かれている説がある…UFO説。
彼らは、UFOに遭遇したのではないか?というのだ。
その根拠は、放射線だけではない。
当時、9人を捜索していた人々が、ディアトロフ峠周辺で、オレンジ色の“光の球”が飛ぶのを目撃したと証言。
捜索隊だけでなく、山の麓に住む人々や「マンシ族」からも、目撃報告がいくつも上がっていた。


ソ連の核実験説、UFO説、2つの説の根拠になっている「放射線」。
被害者の衣服から、通常の2倍に上る放射線が検出されたのは、紛れもない事実だ。
そこで…アイカー氏はシカゴ大学放射線科の准教授に、取材データを見せ意見を求めた。
すると…通常の2倍という数値は、危険でもなければ異常な高さでもないという答えが返ってきたという。
またその程度であれば、大気汚染などによって容易に説明がつくというのだ。
さらに皮膚が変色し、髪が白くなった原因は放射線被曝ではなく、直射日光を長期間浴びたせいだと、専門家が証言。
事実、最初に発見された遺体でも、30日近く、雪原で日光にさらされていた。



では、一体なぜ、ソ連当局は事件の早期幕引きを図ったのか?
事件から30年後、イヴァノフ元捜査官は当時の状況について、新聞にこう明かしている。
「ミサイルや核技術に関するデータが漏れるのを恐れて、共産党委員会からそのような問題を取り上げることは禁じられていた。」と。
冷戦のさなか、共産党は核にまつわる情報が国外に漏れるのを恐れていた。
よって当局は、事件が放射線の影響であることを疑い…情報の公開を迫ったイヴァノフを煩わしく思い、捜査を中止させたのだ。


こうして、アイカー氏が3年にわたり、数々の説を検証した結果、たどりついたのは…全て≪不可能≫という事実だった。
そこで、最も不可能性が低い答えはやはり、なんらかの自然現象ではないか?と考えた。
アイカー氏はアメリカ海洋大気庁の気象学の専門家、ベダード博士に面会を申し込んだ。
博士はこれまで、ディアトロフ峠の悲劇について、聞いたことがなかったという。
そこで、アイカー氏は一連の出来事を事細かに伝え、現場の写真を見せた。
すると、ベダード博士は、ディアトロフたちがテントを張った場所の写真を見てこう言った。
「これは、ヘアピン渦が出来るのに、あまりにも理想的な地形だ。」
それは長年、気象の研究を続けきた博士だからこそ辿り着くことができた、事件の真相だった。


ヘアピン渦とは、強い風が丸い半球状の障害物にぶつかる時に発生する、特殊な渦のこと。
渦自体の形がヘアピンに似ているため…こう呼ばれ、チューブのように大気を巻き込んでいる。
これはもともと流体力学の分野で、観測された現象。
その後、1990年代に入りメカニズムの研究が進んだものの、現在でも気象現象としての観測例はわずかである。
ヘアピン渦は、周囲の地形に凹凸が無ければ無いほど、パワーが強力になり…風速は実際の3倍にまで達する。
そして、ある程度風が強まると、竜巻に変化するという。
ディアドロフ達は、この竜巻が通過する間にテントを張ってしまったのだ!


さらに、その竜巻は…2分?3分に1回、ディアドロフ隊の間をすり抜けていったと考えられる。
彼らがテントを張った時の風速は、およそ15m、元々冒険家の集まりだったディアドロフ隊にとって、それはさほど大きな問題ではなかった。
しかし、誤算が生じる…ヘアピン渦が発生したことにより、風はその3倍へと強まった。
ベダード博士によれば、当時の天気図から、その竜巻は風速45メートル以上に達していたと推測できるという。
かなりの強風ではあるが、テントが吹き飛ばされていない以上、直接、竜巻が事故の原因になったとは考えにくい。
ではなぜ、ディアトロフ達は慌ててテントを飛び出したのだろうか?


ベダード博士は、こう説明してくれた。
「風速45mの竜巻は、地響きを伴い、まるで頭上を旅客機が離着陸するような、恐ろしい轟音を生じさせたのです。さらに…超低周波音を生み出します。」
そもそも空気の振動である音には、周波数で測る高さと圧力で測る大きさがある。
超低周波音の場合、周波数が低いため、ほとんどの人が聞き取ることができないが、圧力が大きくなると感じることができることがある。
そして、この超低周波音は、自然界でよく発生すると言われる一方、人体に影響を及ぼすと指摘する専門家もいる。
ベダード博士もその1人。
博士によれば、超低周波音を感じると頭痛や気だるさだけでなく、時に恐怖を覚えることもあるという。


ヘアピン渦が引き起こす、竜巻の凄まじい轟音。
加えて、超低周波音がもたらすパニック。
それに耐え切れずディアトロフ達は、風下へと逃げ出した。
だとすれば…冬山のエキスパートである彼らが、なぜ、テントを切り裂き…上着も着ず、しかも裸足でマイナス30度におよぶ夜の雪原に飛び出していったのか…ほぼ全てに説明はつく。


そして、真っ暗な夜の雪原へ飛び出した9名のうち、6名が低体温症による凍死。
脱ぎ捨てられた衣服は、矛盾脱衣と呼ばれる行動だと考えられた。
人は体温が下がりすぎると、皮膚の血管が収縮、体を中から暖めようとする働きが生じる。
すると、体内の温度と気温の間で温度差が生じ、寒い環境下でも、暑いと錯覚に陥ることがあるという。
そして、竜巻の影響もあったのか、4名が足を踏み外し、谷底に落下。
1人は雪がクッションになり、大きな外傷は負わなかったものの、低体温症で凍死。
残る3人は、落下した際、雪の下にあった岩に激突、肋骨や頭蓋骨の骨折など、激しい外傷による大量出血が死因になったと考えられた。
そして、彼らの命が奪われたその場所こそ、奇しくもマンシ族が≪死の山≫と名付けた山だった。


60年前に比べ、遙かに進歩した科学の力で、9人の若者の命を奪った真犯人は見えてきた。
ヘアピン渦という未知の脅威にさらされた恐ろしさはいかほどだっただろうか?
彼らは何も語らぬまま、土の下に眠っている。
アイカー氏はこう話す。
「私はこれが、真相だと信じている。少なくともこれが、不可能でない唯一の説だから。」



9名の若者たちが命を落としたにも関わらず、解決不可能と言われたディアトロフ峠事件。
しかし、発生からおよそ60年の時を経て、1人のジャーナリストの丹念な取材によって、ついに真相が浮かび上がってきた。
当時の科学では知る由もない、ヘアピン渦、その発生によって、今後、同様の悲劇が繰り返される心配はないのだろうか?
べダード博士によれば、ヘアピン渦が発生するのは、人里離れた場所に限られるゆえ、都市に住む人間がヘアピン渦に巻き込まれる危険はない。
しかも…都市部では建物が複雑に入り組み、風の流れを遮るので、おそらくヘアピン渦は発生しないだろうという。


そしてベタード博士が今回の悲劇の要因の一つだと語る「超低周波音」。
博士は、それが人間に及ぼす影響についてこう語る。
「超低周波音は自然界でもよく発生します。雪崩、海の波、火山や地震、その他様々なところで確認されています。しかし大抵の場合、音の圧力のレベルが低く、人体に影響を与えることはありません。」
しかし9名の学生は、その命を奪われ、悲劇的な最期を迎えた。
ベタード博士は、こう話してくれた。
「竜巻が起こっている間、通常ではありえない、非常に強力な超低周波音が彼らを襲ったと考えています。それは何度も繰り返され、中にはその音を感じ取った隊員もいたと思います。竜巻や轟音と相まって彼らに強い恐怖を抱かせたのでしょう。」
世紀のミステリーと言われたディアトロフ峠事件。
彼らには決して知ることの出来なかった現象が、その原因だった。
しかしこの事件は、まだ地球上には未知の現象が潜んでいると、警鐘を鳴らしてくれているのかもしれない。

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