記憶のない交通事故 全て自分の過失? 意外な真実

1993年11月20日、内装業をしていた後藤さんは、職場にバイクで向かっている途中、2トントラックと衝突し、意識不明のまま救急病院へ搬送された。
どうにか一命を取り留めたのだが、後藤さんは、事故の影響で事故当日を含め、その直前およそ1ヶ月の記憶を失っていた。
さらに…事故の責任は全部、後藤さんの側にあったというのだ。


事故が起こったのは、街道と車1台ほどしか通行できないような、細い道が交わる信号機のない交差点。
トラック運転手によれば…交差点で右折するために切り返そうと一旦停止した。
そこに、一時停止の標識を無視した後藤さんのバイクが時速40キロほどのスピードで突っ込んできたという。
また目撃者として名乗り出たのが、交差点近くに住むトラック運転手の息子だった。
トラック運転手の息子は、「バイクが猛スピードで交差点に突っ込んでいって親父のトラックにぶつかったんです。」と証言した。


しかし、兄から聞かされたその話は、到底、納得できるものではなかった。
なぜなら…後藤さんの会社は、トラックが通ってきた街道の先にあった。
そのため、通勤する時は、大きな幹線道路を右折し、そのまま街道を直進するルートを使っていた。
トラック運転手は、バイクは脇の細い道から交差点に突っ込んできたと証言している。
もしこれが事実だとすれば、いつものルートを通らず、幹線道路を直進して右折。
また右折して、細い道に入り、さらに左折しようとしていたことになる。
ありえないと思いつつも、記憶がない以上、確信は持てなかった。


後藤さんは、兄から事故直後のトラックの写真を見せてもらった。
トラックの右側が大きく破損、さらに フロント部分に凹みがあった。
また後藤さん自身も右腕の神経を損傷、右足首骨折など身体の右側に大きな怪我を負っていた。
トラック運転手の証言通りなら、おそらく後藤さんは、飛び出した交差点で左折しようとして、曲がりきれずに衝突。
そのため、身体の右側に大きな衝撃を受けたと考えられた。


後遺症が残る大怪我…だがトラックの運転手は、過失傷害には問われないという。
一般的に、人身事故の場合、相手に大きな怪我を負わせた加害者は、過失傷害罪などの罪に問われ、懲役や罰金などの刑罰が科せられることが多い。
ところが今回、トラック運転手はこのケースに該当しなかった。
運転手だけでなく、目撃者だという息子も事故の原因は、後藤さんのバイクが一時停止を怠ったためと証言したからだ。
結果、暴走し、停止していたトラックにぶつかった後藤さんに圧倒的な過失があったとして、トラック運転手は過失傷害罪に問われることもなく、起訴されることはなかったのだ。
後藤さんは、今までその道は使ったことがない上に、自分の話を聞かないうちに事故の全責任を負わされることに納得ができなかった。


手術やリハビリを経て、事故から半年後に退院。
退院後、後藤さんは、初めて事故現場へ向かった。
この交差点を右折した先が、実際の事故現場である。
そこに時速40kmで交差点に突っ込んだという。
だが…実際の事故現場を目の当たりにした後藤さんは、トランクの運転手も、息子も嘘をついていると確信した。


後藤さんが時速40kmで走ったという道は、わずか18mほどの長さしかなかったのだ。
レーサー並の運転をしないとそんなこと不可能だった。
あの細い道を通っていない以上、やはりいつもの通勤ルートで事故に遭ったのだと後藤さんは確信した。
だとすれば、直進車両の方が優先のため、右折しようとしたトラックに過失が生じることになる。


退院後は生活保護を受けながら、警察に捜査をして欲しいと依頼する手紙を何度も書いた。
だが、一向に返答がないばかりか、さらに理不尽なことが起こった。
トラックの運転手が加入している保険会社からの、自賠責保険についての通知が届いた。
車の保険には、すべての車に加入が義務付けられている、自賠責保険と任意で加入する保険がある。
任意保険は契約内容によって、自分、相手、破損したそれぞれの車両などが補償される。
一方、自賠責保険は、交通事故の被害者の最低限の救済を目的としている。
補償されるのは、人身事故を起こした運転手以外の人に対してだけである。


今回、事故で怪我と後遺症を負った後藤さんのために、トラック運転手の自賠責保険から保険金が支払われることになったのだが…
自賠責保険は、たとえ被害者に過失があっても支払われることがほとんどだが、その過失の割合によって減額される。
後藤さんは本来、事故で負った傷害と後遺症によって、およそ2300万を受け取れるはずが、1600万円ほどに減額されていた。
トラック運転手は、任意保険に入っていなかったため、後藤さんに支払われる保険金は自賠責だけだった。
後藤さんは、事故で利き腕が全く動かせなくなり、内装設備工事の仕事はやめざるを得ない。
この先、安定した収入を得られる保証もなく、決して十分な金額とはいえなかった。


後藤さんは、弁護士に相談。
トラック運転手を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を起こすことにした。
何より辛かったのは、調査もされずに事故の責任をすべて押し付けられたこと。
ただ真実を知りたかった。


そして、事故から約3年後、民事裁判が行われた。
この時、後藤さんは…初めてトラック運転手と対面。
結果は…敗訴だった。


後藤さんは、控訴した。
しかし、判決を覆すには、新たな証拠が必要だった。
すでにトラックは修理され、意識が戻らないと思っていた家族によって、バイクも処分されていた。
手元にあったのは、警察が事故直後の状況を記した現場見取り図と…事故後、撮影されたバイクの写真2枚。
そして、トラックの写真1枚だけだった。


そんな時、ある人物と会うことができた。
柳原三佳さん…警察のずさんな捜査によって苦しむ、交通事故の被害者たちを取材、メデイアを通じて訴えているジャーナリストだ。
後藤さんは、交通事故被害者たちの苦しみを取り上げたテレビ番組に彼女が出演しているのを見て、知人に代筆してもらい手紙を送っていたのだ。
柳原さんは後藤さんを、交通事故鑑定人の駒沢幹也氏の元へ連れて行った。
駒沢さんは、すでに故人となられたが、死後13年経った今なお語り継がれている、伝説の交通事故鑑定人である。


交通事故鑑定とは…日本では1950年頃から交通事故が急増、それに伴い、保険会社や大学が物理や工学などの専門知識を使って、事故原因の究明を始めたのがルーツとされている。
日本の交通事故鑑定の黎明期から、半世紀もの長きにわたり調査に携わっていた、この分野の第一人者である。
亡くなる2年前、アンビリバボーは駒沢さんを特集。
経験と洞察に満ちた鑑定のいくつかを取材していた。


その1つがこんなケース…
その筋の男たちは、時速30kmで走行中、土手から車が転落したと主張、保険会社に260万円を請求してきた。
しかし駒沢さんは、事故現場の地面を写した2枚の写真から、彼らの嘘をすぐに見破った。
1枚は至近距離で撮影されたもの、そしてもう1枚は転落した事故車によって刻まれた痕跡全体を写したものだった。
もし時速30kmで崖を転落したら、勢いで車体は移動し、線状の痕跡が残る。
ところが…現場にそのような痕跡はなかった。


また本来、走っている車が横転したのなら、停止後もタイヤは一定時間回転し続ける。
そのため、地面に残るホイールの跡にも乱れが生じるはずである。
しかし現場写真には、ホイールの跡が克明に残っていた。
では、くっきりと痕跡が残るのは、どのような場合なのか?
それは、止まっている車が横向きに転落した時に特徴的に現れる。
すなわち今回の現場に残る痕跡とよく似ている。
駒沢さんはこうした理由から、彼らの嘘を見破ったのである。
その後、民事裁判で駒沢さんの鑑定が採用され、男たちに保険金がおりることはなかった。


真実は曲げられないという強い信念を持つ駒沢さん。
その魂の鑑定が死者の無念を晴らした、そんなケースもあった。
事故は、片側2車線の国道で起きた。
1人のトラック運転手が、走り慣れた道を時速40kmで走行していた。
その時…ミキサー車に追突。
トラック運転手は、腹部を強打し、内臓破裂で即死。


事故後、警察による現場検証が行われた。
ミキサー車の運転手によれば、脇道から国道に入り直進していたところ、突然トラックが追突。
その勢いで中央分離帯にぶつかって止まったという。
確かに現場には、トラックがブレーキをかけた跡はほとんどなく、調書には運転手の居眠り運転の疑いありと記録された。


鑑定記録が検察に送られ…ミキサー車の運転手の証言と、トラックがほぼノーブレーキで追突していた点が決め手となり、両者の過失の割合は100対0と算定された。
ミキサー車の運転手に責任は全くなく、追突したトラック運転手に全面的に非があったと判断されたのだ。
そのため、トラック運転手の遺族には、一切保険金はおりなかった。


夫の死に納得できなかった妻は、弁護士に相談。
その名誉を回復するべく、事故から2年後、民事裁判で争うことになった。
だが、夫の無念を晴らすには、ミキサー車の運転手の証言を覆さなければならない。
事故車をはじめ物証はほとんど残っておらず、手元にあったのは、現場検証の際に撮影された写真だけだった。
厳しい状況の中、遺族と弁護士が救いを求めた人物こそ、伝説の交通事故鑑定人、駒沢さんだった。
なんと駒沢さんは、写真を見ただけで事故の真相が分かったというのだ。


ミキサー車の後部には、横一列に突起がある。
そのため、後ろから追突したトラックの前面には、凹んだ痕が残る。
舗装された道路で起きた事故なので、本来なら傷は地面に平行に出来るはず。
だが今回、傷は傾いてついていたのだ。
その角度は7度。
では、この傾きは何を意味するのか?


これはダンプカーを使った、重心移動の実験映像である。
運転手がハンドルを左に切ると、車体は右に傾く。
ハンドルを右に切ると、車体は左に傾く。
つまり、車はハンドルを切った方向と逆に傾く。
今回、ミキサー車が左に傾いていたのは、ハンドルを右に切っていたからに他ならない。
しかし事故は、片側2車線の国道で発生し、ミキサー車は交差点を左折して直進したはず。


駒沢さんによるとミキサー車は、ハンドルを左に切って大きく左折。
そのまま車線変更をした後で、態勢を立て直すため、一瞬ハンドルを右に切った。
この時、車体が左に傾いた。
時間にしてわずか0.8秒。
この瞬間に追突事故が発生。
ミキサー車の左の傾きがトラックに7度の傾斜の傷を残したという。
つまり駒沢さんは、ミキサー車の無理な車線変更こそが、今回の事故の一因であると結論づけたのだ!


事故から2年後、この鑑定がきっかけで、裁判所は事故の過失の割合を、100対0から65対35に改めた。
民事訴訟のそれまでの常識では考えられない成果だった。
結果、トラック運転手の遺族に保険金が支払われ、遺族も夫の名誉を回復できたことに感謝した。
伝説の交通事故鑑定人、駒沢幹也氏。
彼の鑑定によって、多くの被害者が救われてきた。


そして、意識を失っている間に、交通事故の責任をすべて背負うことになった後藤さん。
彼もまた、駒沢さんの元に導かれた1人だった。
後藤さんは事故現場の状況を説明し、写真を渡した。
駒沢さんは、その写真を見て、すぐに事故は後藤さんの責任ではないと言った。


トラックのフロントパネルの右側は、全体的に凹んでいた。
尖ったものやバイクなど硬いものが当たったら、こんな凹み方はしない。
この凹みは、柔らかいもの…つまり、人間の身体がぶつかって出来たものだった。
トラック前面の凹んだ部分は、場所によってその深さに差があった。
中央部が浅く右側の方が深くなっていたのだ。
このことから、トラックのフロント部分の凹み具合から見て、後藤さんのバイクはトラックの斜め前方から直進。
フロント部分に、体の右側に衝撃を受けるように当たったと鑑定。


さらに、トラックのフロント部分に、バイクが擦った跡がはっきり残っていた。
駒沢さんによると、この跡が後藤さんの無実を晴らす決定的な証拠となると言う。
警察の実況見分によれば、事故後、後藤さんとバイクは、離れた位置で発見されている。
もし、側道から走ってきたバイクが、トラックのフロント部分に傷跡を残したとすると、バイクの左側に接触したことになる。
だとすると、後藤さんが右半身に怪我を負ったことの説明がつかない。
また、バイクが飛んだ位置も明らかに不自然だ。
すなわちそれは、後藤さんがいつもの通勤ルートを走行中、事故にあったことを意味していた。
でなければ、フロント部分に擦れた跡がつくことはない。


さらに、トラックは右折しようとして動いている途中だったという。
実はこれも、バイクと後藤さんが倒れていた位置から推測できるという。
止まっているトラックに衝突した場合、通常、慣性の法則によって、バイクと人間は、ほぼ同じ方向にはじき飛ばされる。
だが実際、後藤さんとバイクは、全く離れた場所に倒れていた。


動いているトラックに衝突された場合、後藤さんとバイクはトラックの動きの影響を受ける。
今回の場合、後藤さんの体の方が、バイクに比べ、トラックとの接触面が大きく、そのためトラックの動きの影響を大きく受けた。
また柔らかい人間の体は、鉄のかたまりであるバイクよりも衝撃をもろに受けるため、後藤さんはバイクよりもトラックが進む方向へ飛ばされたのだ。


駒沢さんの鑑定により、自らの主張に確信を持った後藤さんは、民事訴訟の控訴審に向けて資料を作成した。
一方、柳原さんは、警察がトラック運転手の主張だけを聞き、公正に調査しないことを批判する記事を書き、後藤さんを支援した。
すると間もなく、柳原さんの記事を読んだ検察が動き出したのだ。
ほどなくトラック運転手は、業務上過失傷害罪で起訴され刑事裁判が行われることになった。


この刑事裁判は、民事裁判の控訴審の前に行われた。
すると、4回目の法廷で驚くべきことが起きた。
突然、トラック運転手が、これまでの主張を撤回し、自らの嘘を認めたのだ。


刑事裁判の判決で、トラック運転手は業務上過失傷害の罪で禁固8ヶ月、執行猶予3年を言い渡された。
さらに、まもなく行われた民事裁判の控訴審でも、後藤さんの主張が認められ、トラック運転手にはおよそ6千万円の損害賠償金の支払いが命じられた。
一方、嘘の目撃証言を行なったトラック運転手の息子は100万円支払うことで、後藤さんと和解。
事故から6年あまり、後藤さんの潔白は証明され、長い戦いは終わった。


あの事故から26年が経過した今年の夏、後藤さんの自宅にある人物が尋ねてきた。
ジャーナリストの柳原三佳さんだ。
実は、あの裁判以来、柳原さんは後藤さんの身体を気遣い、連絡をとるようになっていた。
柳原さんは、たとえ取材を離れても、常に人と人とのつながりを大切にしている。
そして後藤さんにとっても、柳原さんとの交流は心安らぐ時間になっているようだ。


交通事故鑑定人の駒沢さんは、民事裁判での逆転判決から6年後、この世を去った。
柳原さんにとって駒沢さんは、取材で出会った交通事故鑑定人の中でも特別な存在だった。
駒沢さんは、生前、口癖のようにこう語っていた。
「人は間違えたり嘘を言ったりするけれども、(車の)傷っていうのは嘘をつかないんだよ。」

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