飛行機が故障!絶体絶命の状況で現れた謎の滑走路

ロシアの極北にあるコミ共和国イジュマ。
この 何の変哲もない、のどかな小さな村を世界的に有名にした1人の人物がいる。
だが、その人物は村一番の変わり者だった。
しかし、9年前のある日、一夜にしてロシア全土、いや 世界中のヒーローになったというのだ。


その日、ロシア連邦の極東・サハ共和国にあるポリャールヌイ空港からモスクワに向かう定期往復便、アルロサ航空514便は、休暇で故郷に向かう鉱山労働者や、旅行に行く家族連れなど72名を乗せ、順調なフライトを続けていた。
機長のノボショーロフと副操縦士のラマノフほか、2人のクルーにとっても、数百回も往復している通い慣れた航路。
乗客乗員81名に何の心配もないはずだった…その時までは。


突如、機体を大きな揺れが襲った。
バッテリーに何らかのトラブルが発生したのだ。
そのため、電力を使用しない、速度計と高度計を除いた全ての電子計器と自動操縦などの機能が一斉にダウン。


さらに…なんと通信機能までがダウンし、管制と連絡が取れなくなってしまったのだ!
なんとか操縦桿だけは手動で動かすことだけは出来たものの、あとは速度と高度がわかる以外、飛行に関わる全ての機能が失われてしまったのである。
計器もなく、管制と連絡が取れなければ、自分たちの今いる位置さえわからない。
こうしてアルロサ航空514便は、突如として上空1万メートルで完全に孤立してしまったのだ。


さらに、後30分で燃料が尽きるという事態に陥った!
実は、この時予定のフライト時間は、まだ2時間以上もあり、燃料自体は機内に残っていた。
だが、エンジンへ燃料を供給するタンクの容量はそれほど大きくないため、飛行機の両翼部分にも、貯蔵用タンクが備えられており、そこからメインのタンクへ燃料の移動が行われる仕組みだったのだが、タンクへ燃料を移動させるポンプが電動だったため、燃料の移動を行うことができなかったのだ。
つまり、燃料は現在タンクに入っている残量分しか使用することができず、その燃料があと30分で切れてしまうのだ。


絶体絶命の危機に不時着を決意するクルー。
だがこの時、高度を下げた彼らの、眼下に広がっていたのは…見渡す限り、一面の木々だった。
そう、彼が飛んでいた場所は不運にも、約3万2千平方キロメートルにも及ぶヨーロッパ最大級の原生林上空。
安全に不時着が可能な場所などありそうもなかった。


すると、その時だった!
一面の森の中に、突如滑走路が現れたのだ!
地図にも、乗っていない空港。
滑走路は石畳で作られた古いタイプ、閉鎖された空港だと推察された。
だが…昔、使用された滑走路だったとしても、整備されていなければ、障害物などで安全に着陸できない。
ところが…森の中に突如現れた謎の滑走路は、何故か整備までされていた!


だが、まだ問題はあった。
車輪はなんとか手動で出すことが出来たものの、着陸時、速度を落とす為に使用する翼に取り付けられたフラップは電動のため使用できない。
そのことを計算に入れると、滑走路の距離はどうしても少し足りないように思えた。
それでも、他に選択肢はなかった。
果たして乗客の運命は!?


機体は滑走路を200メートルほどオーバーランし、森の中に突っ込んだところで停止した。
乗客乗員81名は、誰一人怪我することなく全員生還。
燃料は残り、たった4分だった。


だが、森の中にこつ然と現れ、81名の生命を救った滑走路は、一体なぜ、なんの為に存在していたのか?
実際、空港は航空地図にも載っておらず、滑走路は10年以上前から利用されていないと判明。
にも関わらず…滑走路は整備までされていた。
実はこの奇跡の生還劇には、ある男性が大きな役割を果たしていたのである。


乗客乗員81名の命を救った、もう1人の人物。
その人物に会うために、人口約4000人の小さな村、コミ共和国イジュマを訪ねた。
彼こそが、たった一夜にして運命が変わった人物、セルゲイ・ソトニコフ、61歳。
実は、ここは、あの時奇跡の舞台となったあの滑走路の隣にある建物。
そしてセルゲイさんは、こちらの場所を管理する管理人。


子供の頃から飛行機が大好きだったセルゲイさんは、航空学校を卒業後、空港の管理会社に就職。
そして今から約40年前、この場所に開業したイジュマ空港に赴任。
だが、セルゲイさんが空港に勤めてから13年後…ソ連が崩壊。
イジュマ空港にも資本主義の波が押し寄せたのだ。
その結果、今から20年前イジュマ空港は採算の取れない飛行機の発着を取りやめることにした。
滑走路は閉鎖され、空港はヘリポートとなってしまったのだ。
航空地図に載っていなかったのは、すでに閉鎖されていたからだったのだ。


その4年後にはさらに規模を縮小、かつて126名いた従業員は、セルゲイさん1人に減らされたのだ。
そして、その業務も…滑走路の隣にあるヘリポートの管理のみを行うというものだった。
だが…セルゲイさんは、この状況は一時的で、すぐにでも元のように飛行機が発着すると信じていたという。


こうして、セルゲイさん1人での管理が始まった。
ヘリポートを管理するセルゲイさんに使用しなくなった滑走路を使わせてくれという依頼が殺到したが、断り続けた。
さらには…汚されないよう無断で入る人を見張り、本来義務ではない滑走路の管理を続けたのだ。


だが、1年経ち、2年経ち…数年経っても、セルゲイさんの夢は叶う気配すらなかった。
飛行機が降りてくることはもうないと、セルゲイさんも気づいてはいたという。
だが、それでも滑走路を守り続けた。
いつしか滑走路の掃除自体が趣味となっていたのだ。


1人での管理が始まってから、7年たったころ…滑走路に飛行機がやって来たのだ!
突然訪れた奇跡に、セルゲイさんは狂喜乱舞!
アルロサ航空514便のクルーたちが見た、ありえない光景は、趣味となっていた掃除が導いた奇跡だったのだ。
ロシアの片隅の小さな村で、変人として知られていたセルゲイさんは、一夜にして、ロシア中の英雄となり。
世界中のメデイアから取材が殺到した。


事故後、機長と副操縦士は大統領から乗客乗員の命を救ったとして、「ロシアの英雄」の称号が授与された。
そして、セルゲイ・ソトニコフさんには、たった1人で長年にわたり飛行場を管理し、奇跡の着陸に貢献したとして、『祖国への奉仕名誉勲章』が授与された。


あれから9年、一度も飛行機がやってきたことはないが…趣味である掃除は今でも続けている。
セルゲイさんは、こう話してくれた。
「掃除をしていると気分がいいので、やっているだけなんですよ。それに、いつまたあんなことがあるかわかならいですからね」

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