タイタニック号沈没 映画では描かれなかった真実の愛

映画『タイタニック』。
今から107年前に起きた、豪華客船タイタニック号の沈没事故を題材にした物語で、1997年に公開され、ギネスブックに載るほどの空前の大ヒット。
船上で出会った貧しい青年ジャックと資産家令嬢ローズのせつない恋と別れを描き、世界中の人々の涙を誘った。
映画では、2人の他にも、あの時タイタニック号に乗り合わせた多くの人たちの最期も短いながら印象的に描かれている。
映画後半、沈みゆく船の中でベッドに横たわり、静かに死を待つ老夫婦が描かれるシーンもその1つなのだが、実はこの老夫婦には実在のモデルがいる。


アメリカの富豪イジドー・ストラウスとその妻アイダ。
イジドーはアメリカの大手百貨店、メイシーズの経営者として知られる。
だがこのシーン、2人をモデルにはしているものの、その最期は事実とは異なるという。
タイタニック号沈没事故の陰に隠された真実の愛。
冷たい海の上、極限状態の中、映画をしのぐ壮絶な奇跡のドラマがあった。


イジドーとアイダは、ドイツからの移民だった。
2人の出会いは、イジドー18歳、アイダ14歳の時。
8年後の1871年、2人は結婚した。
その後、イジドーは家族で輸入陶器を扱う仕事に就いた。
やがてニューヨークのメイシーズ地下の一角に設けた店は、よいものを安く売るという商売が評判となって、少しずつ売上を伸ばしていき、結婚から17年後、ついにメイシーズ本体を買収。
イジドーが経営権を取得してからメイシーズはさらなる成長を遂げ、やがては世界的な百貨店に成長していった。


だが、彼の功績はビジネスの面だけに留まらなかった。
イジドーは、アメリカで初めて共済組合をつくり、健康保険を提供した。
医療費から葬儀代まで補助金を出し、高齢で働けなくなった後の基金まで設立した。
この当時、デパート店員の週給は2ドル~8ドルほど。
コーラが5セントの時代、給料の安い社員には、昼食1食分を5セント以下で提供し、コーヒーとミルクは無料とした。
また、社員が安く休暇を楽しめるようにと、サマーハウスを借り上げ、交通費まで支給した。
社員の顔と名前を覚え、家族のことにまで気を配る。
当時としては破格の福利厚生に、社員の士気も上がった。


2人は6人の子供達に恵まれた。
イジドーは常に多忙だったが、夫婦は非常に仲むつまじかったという。
人前で愛情表現をすることのなかった時代、お互いの気持ちを素直に表現し、一緒にいる時にはいつも寄り添い合っていた。


イジドーは65歳になった時、事業の大半を息子たちに任せ、妻との時間を大切にするようになった。
そんな2人がヨーロッパ旅行へと旅立ったのは、結婚40年目を迎えた1912年1月。
体調のすぐれなかった妻を気遣い、寒いニューヨークを離れ、温暖なヨーロッパを回ることにした。
3カ月間、観光したり、友人と会ったりするなど、夫婦で楽しい時間を過ごし、アイダの体調も回復に向かっていた。


そして、ニューヨークに戻るために予約したのが、タイタニック号だった。
タイタニック号は、まだ旅客機のなかった20世紀初頭、3年の月日をかけて建造されたイギリスの豪華客船で全長269メートルは当時世界最大級の大きさだった。
さらに、最新の技術を用いた高い安全性を誇り、『決して沈まない船』として大きな評判を呼んでいた。


1912年4月10日、タイタニック号は多くの人々に見送られ、華々しくイギリスサウサンプトン港を出航。
名高い実業家であるイジドーとアイダは、最高ランクに位置する一等船室に宿泊することになり、同行していたメイドのエレンも廊下を挟んだ向かい側の部屋を与えられた。
夫婦の帰りを待つ家族のことを思い、2人は船旅を楽しんでいた。
これからも続くであろう幸せな未来を全く疑うこともなく、だが、運命の時は刻一刻と迫っていたのである。


23時40分…タイタニック号は巨大な氷山に激突!
船は右舷部分に衝撃を受け、全16区画のうち5つの区画に損傷が発生。
たちまち浸水が始まっていた。
デッキでは避難命令が出され、救命ボートで船外への脱出が始まっていた。


イジドーは、救命ボートにアイダを乗せたが、女性と子供優先だからと、自分は乗ろうとはしなかった。
するとアイダは、一度乗ったボートから、再び船に上がってきたのだ。
さらに、自分が着ていた毛皮のコートをメイドのエレンに着せ、エレンをボートの乗せた。


海水は猛烈な勢いで船に入り込み、船は急速な勢いで船首から傾き始めていた。
浸水が激しさを増すにつれ、乗客たちも事態の深刻さに気づき、先を争って救命ボートに乗り込み始めていた。
実はこの時、沈没を真剣に想定することなく、また義務づける法律もなかったことから、タイタニック号は定員の半分ぶんしか救命ボートを積み込んでいなかった。
それでも、すでに年配だったイジドーにも、なんとか席は確保されたという。
だが、イジドーは、女性と子供が優先されるべきとして、救命ボートに乗らなかった。


氷山との衝突から2時間40分後の午前2時20分。
轟音とともに船体はまっ二つに折れた。
船首が海へと崩れ落ちるように沈んだ時、激しい波が2人を飲み込んだ。
40年間愛し合い、連れ添った夫婦は、冷たい海に投げ出され、2人の姿は見えなくなった。


当時世界最大の海難事故、タイタニック号沈没。
犠牲者数、実に1513人。
しかし、そんな未曾有の大事故にもかかわらず、女性や子供の生存者の方がはるかに多かったことから、最後まで秩序とルールを守った人々も相当数いたことが推測される。
そして、そんな人々の象徴として語り継がれたのが、イジドーとアイダの2人だった。


事故後、その死を悼み、メイシーズの社員たちは、募金活動を行い、記念碑を作って、メイシーズの玄関に掲げた。
そのお披露目に集まった従業員と家族の数は、なんと5000人に及んだという。
自らの命を顧みず、見ず知らずの人たちのために生きる権利を譲った夫婦。
やがて目撃した生存者たちの証言が新聞に載り、夫婦の最期の時の様子は、人々に広く知られることとなった。


そして、事故から1年後、ニューヨークにはそんな2人の功績を讃えるため、夫婦の名前をつけた公園が作られた。
その開園式には町中の人々が集まり2人の死を悼んだという。
極限状態にあってもなお他人のことを優先し、互いの愛に包まれて、冷たい海に沈んだ夫婦。
その志と愛は永遠に語り継がれるだろう。


事故後、アイダさんの遺体は見つからなかったが、イジドーさんの遺体は発見され、その衣服のポケットから遺品が見つかった。
夫妻の長女である祖母サラさんから受け継ぎ、曾孫のポール・クスマンさんがいまも大切に保管していた。
それは、長女サラと長男ジェシーの写真を入れたロケットペンダント。


メイドだったエレン・バードは、無事救出された後、ストラウス家を訪れ、アイダのコートを返却しようとしたという。
だが…ポールさんの祖母サラさんは、遺品であるはずのそのコートを、『それは、母のアイダがあなたにあげたものよ』と言って、受け取ろうとはしなかったという。


2人の墓地はニューヨーク・ブロンクスにあり、そこに建てられている慰霊碑にはこんな言葉が刻まれている。
『どれほど多くの水も愛を消すことはできない それが大水に押し流されることもない』

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