世界を変えた日本人スペシャル

『あの大ヒット商品の誕生秘話』

今や世界中で 大ヒットしているあの商品が…世界中で 使われているアレが…実は 日本で開発されたという事実は、あまり知られていない。
世界を魅了する日本の技術! その原点にあった苦悩と葛藤。
知られざる アンビリバボーな誕生秘話とは!?


今から39年前、伊部菊雄さんは、メーカーの設計部に勤務する若きエンジニアだった。
当時、設計部では、月1回、新技術や新商品に関する企画書を必ず提出するノルマがあったのだが…企画をきちんと練る時間もないまま、〆切の日を迎えてしまった。
エンジニアは、企画書に基礎実験データや開発イメージなどを添えて出すのが当たり前だった。
もはや万事休す。結局 企画書には アイデアだけを書いた。
怒られるのは覚悟の上だった。


そして、企画書を出したことすら忘れていた数週間後…なんと、伊部の企画が通ったのだ!
伊部は心底驚いた。
締め切りに追われ、出した企画書、そこに書いたのは…『落としても壊れない丈夫な時計』、たった1行だけ!
時計は精密機械、落としても壊れないというのは、当時、あり得ないことだった。


ただ このアイデアを出したのには 伊部なりの理由があった。
以前、高校入学祝いに父に買ってもらい、ずっと付けていた時計が、人とぶつかった拍子に床に落ち、バラバラに壊れてしまったことがあった。
時計って 結構 簡単に壊れるんだという実体験が心に残っていたのだ。
さらに当時、道路工事などの作業員は、壊れてしまうことを考え、時計はしていないのが当たり前だった。
単純に彼らが付ける腕時計があればいいなと思っていた。


試作には入ったものの、商品として実現可能だという裏付けをとる基礎実験から、伊部は苦労する羽目になる。
当初は、時計の外側をゴムで保護すれば、衝撃も緩和され、かつガラス面が 直接ぶつからずに済むと考えていた。
地上10メートル、3階の窓から落としてみたのだが…地面に落ちた衝撃でガラスは割れ、機械も壊れてしまう。


壊れないようにするには、時計全体をゴムテープでぐるぐる巻きにするしかなかった。
しかし…確実に壊れなくなったのは、ソフトボール大の大きさ。
だが、そんな代物は、腕時計になどなりえない。


そこで全く新しい耐衝撃構造を考えることに。
思いついたのは、素材を変えて5段階で衝撃を吸収する構造。
ゴムパーツとメタルパーツを交互に重ね、時計の心臓部を保護する仕組みだ。
なんとか腕時計にできるサイズにはした。


新たな衝撃吸収構造を考案し、落下実験を行った。
何百回と実験を行ったが、必ずいずれかの部品が壊れてしまう。
壊れたところを補強しても、あらためて確認すると、今度は別の場所が壊れるという「モグラ叩き現象」に陥ってしまった。


そんな中、伊部が落下実験を行う様子から、重力を意味する英単語を使った商品名が考案された。
だが、世界的大ヒット商品は、この時 まだ形になっていなかった。
開発開始からすでに1年以上が経っていた。


商品名は決まったが、時計自体はまだまだ…にもかかわらず、伊部を信頼していた上層部が、発売時期の目処だけはつけてしまっていた。
タイムリミットは迫っていた。
伊部は辞表を出す決意をしたという。
だが、公園で子供がボールで遊んでいる姿を見て、あることをひらいめいた!
そして、ある構造のおかげで 衝撃吸収力が格段に向上したのだ!


あの時、伊部の頭に浮かんだのは…もし あのゴムボールの中に心臓部が浮かんでいたら 衝撃は伝わらないのでは?ということだった。
そこで考えたのが、時計の心臓部を点で支え、ケース内に浮かせるように配置して、外部からの衝撃を伝わりにくくする構造だった。


1983年4月、カシオ計算機から発売された その時計は、重力を意味する「Gravity」のGをとり、「G-SHOCK」。
電池寿命7年、防水20気圧、ハードな衝撃に耐える、耐衝撃性がウリだった。


苦労に苦労を重ねて完成した壊れない時計、G-SHOCK。
今や、世界中で大ヒットしている商品だが…当時は、全く売れなかったのだ!
1980年代は「軽薄短小」ブームの時代。
時計も、薄くて軽くて小さいものこそがトレンドとされ、ゴツゴツとした大ぶりの時計が売れる気配は全くなかった。
マーケティング部門も、壊れない、衝撃に強い時計を一体どう売ればいいのかわからず、売り場の隅にひっそりと並べられているという日々が8年続くことになる。


そんな中、当時の営業担当は、ダメ元で販売網のあったアメリカ、イギリス、ドイツに売り込んだ。
すると、アメリカの担当だけが興味を示してくれ、発売にこぎつけた。
だが、ここで思いもよらない出来事が起きる。
それは、アメリカ支社が独自につくったテレビCM!
アイスホッケーの選手が、G-SHOCKをスティックで思い切りシュートしているのである!
こんなことをしても壊れないという表現だったが、それは開発者の伊部ですら想定外の方法だった。


当然のことながら、アメリカ国内では誇大広告だと批判が高まり、ついにテレビ番組で検証実験が行われることになってしまった。
プロのアイスホッケー選手をリンクに立たせ、パックを打つのと同じように、G-SHOCKを本気でシュートするというのだ。
結果、G-SHOCKは壊れることなく動き続け、性能は本物だと証明された。


さらに、G-SHOCKと普通の時計をトレーラーで轢く実験も行われた。
その結果…G-SHOCKは壊れることなく動き続け、またもその性能を証明した。
もちろん普通の時計は粉々だ。
この検証が放送されると、アメリカでG-SHOCKの評判が一気に高まり、警察官や軍の兵士など、屋外でハードな活動を行う人たちを中心に売れ始めた。


日本ではさっぱりだったが、アメリカでは大人気となり、定番商品となったG-SHOCK。
すると、そこから奇跡が起こる。
スケートボーダーから火がつく形で、ゴツいデザインだったG-SHOCKは、ストリートファッションとして受け入れられるようになった。
スポーツをしている時も、時計をしているのが当たり前になった。
そして、今から26年前にヒットした映画『スピード』で、キアヌ・リーブスが着用していたことでも人気が加速。
激しいアクションにも壊れることはなかった!
その結果、これまでの販売不調がウソのように、逆輸入という形で、日本でもブレイク!
G-SHOCKはものすごい勢いで売れ始めた。


しかし、伊部は日本での大ブームを手放しでは喜べなかった。
実は、G-SHOCK発売から3年後には、自ら希望を出して、担当を外れていたのだ。
当初 全く売れなかったG-SHOCKは、当時の伊部にとっては、忘れたい過去でしかなかった。


しかし、警察官や軍関係者が、その耐久性や機能性に目をつけたアメリカとは違い、ファッションとしてブームになった日本では、年を重ねてもつけられるG-SHOCKが必要だと、伊部は考えていた。
ブームがずっと続くとは思っていなかったのだ。
そこで伊部はあらたな企画を会社に提案した。
ファッションとしてG-SHOCKを身につけていた若者も、社会人として責任ある立場に成長する。
G-SHOCKをそんな人たちでもつけられる普遍的な時計にできないか? と考えたのだ。


伊部は 担当を外れて以来、目を背けてきたG-SHOCKに再び向き合う決意をした。
その結果、1996年に生まれたのが『MR-G』と呼ばれる金属製ボディのG-SHOCK。
スーツにも合う、高級感のある時計だが、もちろん耐衝撃性は以前と変わらない。
これによりG-SHOCKは、ファッションだけにとどまらず、実用性を備えた時計として 幅広い年代層へと広まった。


そして、発売から34年後の2017年には、出荷数は世界累計1億個以上を突破。
女性向けブランドBaby-Gやフルメタル、他ブランドとのコラボ商品と様々なモデルを発表。
コレクター心をくすぐる商品としても定着。
ファッションとして流行した1990年代よりも、現在の方が売れ行きを伸ばしている。
一過性のブームを超え、驚異の世界的大ヒット商品へと上り詰めたのである!


そんな中で伊部は、「落としても壊れない丈夫な時計」という本来のコンセプトの大切さを再認識。
それを発信する活動にも力を入れている。
現在 伊部は、世界各国を回る『ショック・ザ・ワールド』や『ファンフェスタ』などと名付けられたイベントで、ファーザー・オブ・G-SHOCKと紹介され、コンセプトやストーリーを伝えるレジェンドとして引っ張りだこ。
今や世界でその名を知られる存在となった。


若き技術者の『あったらいいな』という、1行の提案から生まれた夢の時計。
それは、数々の苦難といくつもの奇跡を経て、現在、世界中の人たちの腕で時を刻み続けている。


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