世界を変えた日本人スペシャル

『誰もが知るアレ! 奇跡の発想』

街でのショッピング、インターネットサイトへの誘導、入場システム。
世界中に普及し、今や見かけない日がないアレ。
その原点には、1人の日本人技術者のひらめきと、誰もに役立つ技術を広めたいという仲間たちの思いがあった。


今から40年前、大学の工学部を卒業した原昌宏さんは、自動車部品製造の最大手、日本電装(現:デンソー)に入社した。
配属されたのは、自動車部品ではなく、ソフトウエアの開発部門。
原が担当したのは、会社の主力である 自動車部品工場の製品を管理するシステム作り。
製造現場を円滑に運営するためには重要な仕事だった。


その頃、現場で使われていたのは、バーコード。
バーとスペースの組み合わせをレーザーの光で読み取ってデータを取り出す技術である。
また、部署では 新たな技術の開発も進んでいた。
活字や手書きの文字を、スキャナーやカメラで読み取りテキストデータに変換するという、当時、最先端の技術を研究していた。


原たちはその技術を実用化。
国際規格として すべての本に割り振られている番号を認識、会計などに使用できるシステムを開発し、書店に売り込んだ。
ところが…当時の読み取り技術には限界があった。
汚れなどが原因で180円の雑誌を1800円と一桁多く読み取ってしまう、エラーを起こしてしまったのだ。
この時、原は『技術には、絶対に誤りがあってはいけないんだ』と思ったと言う。


厳しい要求は取引先からだけではなかった。
自動車の製造工場からも、バーコードが多すぎて、読み取るのに時間がかかるというクレームが入っていた。
自動車部品の材料やパーツは、国内外の様々な場所からやってくる。
その上、工場内でいくつもの工程を経て製品化され、また、様々な場所へと送られる。
全ての情報を、都度、バーコードとして貼り付けていくと、膨大な量になってしまい、読み取るだけでも時間がかかり、製品管理の作業としては、極めて非効率的だった。


工場が要求する技術を開発するには、日常業務をやりながらでは絶対無理だと感じた原は、新しい情報コードの開発を専任でやらせてほしいと願い出た。
時は1992年、すでに景気後退ははじまっていて、生産量は落ち込み、研究開発に割く予算も人材も余裕はなかった。
だが、会社は原の提案を受け入れてくれた。
ただし、許されたのは2年間、スタッフは、原と後輩の渡部、2名のみだった。


バーコードは、文字数にして20文字程度の容量しかない。
そこで 原は、バーコードよりも画像は複雑になるが、より多くの情報を詰め込めるコードの研究に取り組んだ。
しかし…画像が複雑になると、読み込むのにも相応の時間がかかってしまう。


コードを読み取る際、バーコードの場合は、横方向にしか情報が並んでいないため、コードの正確な形や向きを認識するのに、さほど時間はかからない。
しかし、情報を多く詰め込むためにコードを複雑化すると、それを認識するのにかなりの時間がかかってしまう。
開発は行き詰まり…会社から許された期間、その終わりは 刻々と迫っていた。


開発にあたり、原はトヨタグループの豊田中央研究所にも協力を仰ぎ、メンバーは4名になっていた。
できなければ責任を取らざるを得ない。
そんな頃、高層ビルを見て、原はあることを思いついた。
原が気づいたのは、高層ビルは、低層階や中層階は規則正しい形が連続しているが、最上階部分には特徴的な構造やデザインが施されていて、おのずと目が行ってしまうということだった。
もし、自分の眼が画像を認識するカメラだとしたら…最上階のデザインのような目印があれば、すぐにコードの向きや大きさを認識できる!


原は、このひらめきを当初から研究していたあるコードに応用した。
それが…二次元コード!
バーコードのように横方向だけではなく、縦方向にも情報を含むことができる二次元コード。
バーコードよりも 多くの情報を詰め込めるのが特徴だ。


二次元コード自体は、バーコードを開発したアメリカで生まれたものだったが、画像の向きの認識など読み込みに時間がかかるため、なかなか実用化には至っていなかった。
原は、このコードの端にカメラが認識しやすい特徴的なデザインの目印を置いた!
そう、原が開発したのは…QRコード!
今日、我々があらゆる場所で目にするQRコードは、こうして誕生したのだ。


原はこの四角形の「切り出しシンボル」を必ずコードの3箇所に置いた。
なぜ4箇所ではなく 3箇所なのだろうか?
3箇所にすることで、形や大きさに加え、コードの向きが一瞬で認識できるようになる。
仮に1箇所や2箇所でも 向きを認識することは可能だが、3箇所に比べると、形や大きさを認識するのに時間がかかってしまうという。


その結果、100文字以下の情報であれば、0.032秒という圧倒的なスピードで読み込むことが可能になった。
そして容量もすごかった、数字であれば約7000字、漢字やカナでも1700字、A4用紙1枚分という、それまでのバーコードとはケタ違いの情報量を入れ込むことができるようになった。


開発開始から2年が経った1994年、日本電装はQRコードを発表。
原は、工場での使用を目的に開発したため、汚れや破損を想定し、最大30%まで欠損しても読み取ることができる復元機能を持たせた。
QRコードは容量が大きいため、情報を詰め込んでも余裕ができる。
その空いたスペースに予備データを入れておくことで、破損部分を解読する仕組みだ。
『技術には間違いがあってはならない』…かつて読み取りエラーを出してしまった苦い体験がここで生きた。


そして、QRコードは自動車組み立て工場で採用されると…その後、特許を取得。
だが、彼らも会社も このQRコードの特許で大きな財を成すことはなかった!
今や 全世界に普及しているにも関わらず、一体 なぜ!?


QRコード開発当初から、原たちには、誰もに役立つ技術を広めたいという思いがあった。
そこで、会社が決断したのがオープンソース化だ。
オープンソースとは、特許や著作権を保有しても、その権利を行使しないことをいう。
なぜそのようなことをするのか?
当時、アメリカで開発された二次元コードの多くは、開発者が特許を保有、使用にあたり、料金を取っていた。
そのため なかなか普及せず、市場を席捲しているものはなかった。


QRコードが、アメリカのどのコードより、情報量、読み取り速度ともに優っていると自信を持っていた 原たち。
「世界中の人に使って欲しい」という一心だったが、他社に盗用されてしまっては元も子もない。
そこで、特許を取得した後に、その権利は行使せず、公開。
使用料も設けず、無料で誰もが自由に使えるものにしたのだ。


原と営業部門のスタッフは、QRコードと読み取りのデモ機を持って、興味を示してくれそうな企業を回った。
その読み取りの速さと正確さに「本当に読んでいるのか?」と驚かれたという。
QRコードは、やがて国内の自動車産業全体に広がり、さらに自動車以外の業界もその利便性に気づき、採用するようになっていった。


そして 2002年、業務用のみに利用されていたQRコードに奇跡ともいえる大きな変化が起きた。
携帯電話にカメラが標準装備されたのである。
これが人々の生活に革命をもたらした。
そしてカメラに伴い、QRコード読み取り機能も、徐々に搭載されるように。
企業のサイトにアクセスしたり、クーポンを取得できる便利さから、個人ベースで急速にQRコードは普及。
これは原をはじめ会社の誰もが予想し得なかった出来事だった。
はからずも QRコードの性能が見事に証明された結果となった。


現在、我々はQRコードを身の回りのありとあらゆる場面で目にする。
誰もがスマホひとつで膨大な情報にアクセスでき、飛行機にも乗れ、キャッシュレス決済までできる。
原の願いである「世界中の人に使ってもらえる」ものとなったのである。


原のいた産業機器事業部は、日本電装から分社化し、デンソーウェーブとなった。
今から6年前には、QRコード開発チームは、欧州発明家賞を受賞。
QRコードの普及、国際化に尽力し続けたチームの努力が認められたのだ。
原はそのプロジェクトリーダーとして、世界的に評価される技術者となった。
いま、世界中の人々が当たり前に使っている技術は、技術者たちの挫折や、ふとしたひらめき、現場の要求に応え 完璧なものを作ろうという血の滲むような努力と プライドの上に成り立っていた。


G-SHOCKの生みの親、伊部菊雄さんは、各国を回る『ショック・ザ・ワールド』のファンイベントを通し、世界で名を知られる存在となっている。
だが、最初は表に出ることを拒んでいたが、「落としても壊れない丈夫な時計」という最初のコンセプトを一番伝えられるのは自分だと思い、イベントに出ることを決意したという。
現在、G-SHOCKの本来の価値を知る人々が、世界中に ファンとして存在している。


伊部さんは、定年後も会社に残り、アドバイザリー・プランナーとしてG-SHOCKの普及活動に努めている。
人々が時計をしなくなった時代と言われるが、G-SHOCKKは様々な変化を遂げ、現在も売れ続けているのだ。
今やスマホと連動して、位置情報の記録や時刻補正などを行えるモデルも登場している。


さらに進化が著しいのがQRコードだ。
個人情報を入れ込んだQRコードを用い、キャッシュカードなしで、お金を出し入れできるATM。
顔認証と組み合わせることで、強固なセキュリティーを構築することができる。
もちろん他人が使っても…認証されることはない。


路線によっては駅に設置されたホームドアにもQRコードが使われている。
ホームドアは 車両の数などによって、開く場所と 開かない場所が その都度違うのだが、車両のドアに貼られたQRコードを認識することで、瞬時に 開けるドアを判別することができる。
低コストで導入できるこのホームドアシステムは、すでに都営地下鉄などで取り入れられている。
QRコードの父、原昌宏さんも定年後、会社に残り、主席技師として今も進化するQRコードの開発を行っている。


世界に名を轟かせる2人の日本人、彼らは現在もその圧倒的なバイタリティーで、より豊かで暮らしやすい社会の実現に邁進し続けている。

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