人生変えた犬 奇跡の絆

鹿児島本土から南南西に492キロ、『東洋のガラパゴス』と称される奄美群島、そのほぼ中央に位置する徳之島。
この島で一人の男性と一匹の犬が生活している。
7歳の雑種・ラッキー。
そんなラッキーを優しく世話する島田 須尚(しまだ すなお)さん。
成功だけを夢見てきた男が、犬の存在によって気づくことができた…本当の幸せとは?


徳之島で生まれ育った島田須尚は、今から46年前、25歳で島田電器商会を開業した。
徳之島で一番の成功者になると心に決めていた。
当時の口癖は「時は金なり、金は時なり」。


3人の子宝にも恵まれ、家族5人で暮らしていた。
だが、家に帰っても仕事一筋で、家族のことをかえりみることはなかった。
365日店に立ち、家族旅行も、妻と子供だけで行かせたほど。
さらに、子供たちがペットを飼いたがっても、絶対に飼うことを許さなかった。


起業から3年後には、島の目抜き通りに、新たに店舗兼自宅を構えた。
それから十数年、子供達は就職や進学で島を離れていった。


その後、新しい事業にも挑戦。
銀行から さらに8000万円の融資を受け、焼肉店兼カラオケボックスを開店。
だが、膨れ上がった借金は、須尚にとって、想像以上のストレスとなっていった。
しかし新しい事業は、妻の反対を押し切って決めたこと…弱音を吐くことはできなかった。


そんな彼に思いもよらない転機が訪れたのは、今から20年前の7月の始めだった。
店の前に犬が座っていた。
昔からきれい好きな性分で、犬や猫は苦手だった。
しかし、追い払っても、追い払っても、犬はやってきた。


捨て犬と自分の状況を重ね合わせた須尚は、焼肉店の客の食べ残しの肉を犬に与えた。
やがて…誰にも言えずにいた愚痴や弱音を、犬に言うようになった。


そんなことが一週間ほど続いていたのだが…犬が姿を見せなくなった。
心配した須尚は、保健所に向かった。
すると、話し相手になってくれていた迷い犬が、そこにいた。
野良犬がうろついているという住民の通報で、捕獲されていたのだ。
一週間、引き取り手が現れなければ、殺処分されると聞いて、須尚は犬を引き取ることにした。


日々の愚痴を聞いてくれていた迷い犬は、こうして須尚の相棒になった。
外をうろつく姿から、「男はつらいよ」の寅さんに因んで、寅と名付けられた。
仕事ひと筋、ペットなど論外と言い続けてきた父の突然の行動に、家族は皆仰天した。


それから12年後の暮れ、須尚は子犬を連れて家に帰って来た。
子犬は草むらで息絶えた親の横で、かすかに息をしていたところを須尚の友人が発見、保護したのだった。
事情を聞いた須尚は、放っておくことができず、引き取った。
幸運にも生き延びたということで、ラッキーと名付けた。


島田家にやってきた2匹のやんちゃな犬たちの世話。
彼らとの生活は、成功に向けてひたすら突き進むだけだった須尚を、少しずつ変えていった。
全てを1人で決め、ストレスを抱え込んでいた男が…妻に相談できるようになった。
さらに、家族に対してはいつも無口だった父が、笑顔で子供達たちとも話をするようになった。


仕事も軌道に乗り、忙しいながらに平和な生活。
だが、ラッキーが1歳になる直前のことだった。
毎週日曜日、寅とラッキーを連れて、墓参りにいくのが習慣だった。
2匹は リードでつながなくても、荷台でおとなしく待っていた。
この日も20分ほどで戻ったのだが…ラッキーの姿がなかった!


周囲を探すと…ラッキーが倒れていた。
車にはねられたのだろう、ラッキーの下半身は無残にもだらんと垂れ下がり、自力では歩けなくなっていた。
実は、徳之島には動物病院がなかった。
島では手術はもちろん、精密検査もできなかった。


翌日には、自力で排泄すらできなくなり、ラッキーはどんどん弱っていった。
そこで、須尚は長男の誠に電話をかけた。
彼が住む沖縄本島なら、設備も整いラッキーを治療できる病院があると考えたのだ。


手術さえできれば、きっともう一度歩けるようになる…そう信じて息子の元へ送り出した。
診断の結果は椎体骨折。
背骨の中心から折れている状態だった。
手術をしても歩けるようになる保障はないという。
自力で排泄もできず、寝たきりのままになった場合、あと十数年 面倒を見ることができるのかと医者に問われた。
須尚は、たとえそうなっても、ちゃんと面倒を見るからと、手術を望んだ。


事故から7日後、手術が行われた。
切れた神経は可能な限り修復された。
退院後、10日ほど誠さんの家で過ごした後、ラッキーは徳之島へ帰ってきた。
後ろ足は動かないが、排泄はコントロールできるようになっていた。


立ち上がることができなくても、前足だけで走り出そうとするラッキー。
須尚さんは、ラッキーのためにクリスマスプレゼントを用意した。
それは…車椅子だった!
車椅子はラッキーの体の一部になった。


一生介護をすると決めた須尚。
前にも増して献身的にラッキーたちの世話をするようになった。
それから2年、兄の寅は16歳で天寿を全うした。
最後の瞬間まで、彼は須尚のよき話し相手を務めた。


そしてその1年後。
須尚にも転機が訪れることとなる…胃がんだった。
日頃 忙しくしている子供たちも、父の一大事と、全員がすぐに島に帰ってきた。


須尚は、ラッキーが手術を乗り越え、元気に走り回っている姿を見て、自分も頑張ろうと思った。
そして、胃の3分の2を切除するという大手術に耐えた。
入院期間は40日におよび、体重は12キロも減った。


病院のベッドに縛りつけられた日々は、当たり前のようにそばにいてくれたラッキーの存在を改めて須尚に思い出させた。
そして、ラッキーの存在に支えられていたことを実感した。
犬の存在が、仕事で成功することだけを目標にがむしゃらに生きてきた男を変えた。


そして…退院した須尚さんの生活は、著しく変化した。
須尚さんは現在70歳。
多額の借り入れをして建てたビルは、島に進出してきたホテルの強いオファーを受け、売却。
電気店のほうは、店舗での販売はやめたが、修理の依頼があればいつでも駆けつけているという。


さらに、仕事だけではなく、須尚さんは毎朝欠かさず、ボランティアで地域のゴミ拾いを行なっているという。
もちろん、ラッキーも一緒。
仕事の成功は島の人々あってのこと。
少しでも島に還元できるよう、日々を過ごしているのだという。
毎週日曜日には、寅との思い出が詰まった海岸にもゴミ拾いに訪れる。


さらに、家族に対しても気遣う気持ちが大きくなった。
離れて暮らす子供たちに、手料理を作り、送るようになったのだという!
妻とも、今まであまり行けなかった旅行に一緒に行くようにもなった。


須尚さんは、こう話してくれた。
「寅とラッキーという愛犬と出会ったおかげで、家族に対しての心からの支え、感謝。地域の人たちには、全く無名のところをここまで育ててくれたことに対しての恩返し、そういう形で人間として成長できたからできていると思う。」


互いに支え合いながら暮らす、ラッキーと須尚さん。
ボランティアで、漁港の清掃にやってきた。
ラッキーと須尚さんの活動は、島の人にも活力を与えているという。
さらに、島の役場からの依頼で、集落にある全ての電灯を交換。
自分を育ててくれた島への恩返しだ。


毎日清掃作業をしている漁港に、こんな言葉が書かれている。
『おぼらだれん』
それは、島の言葉で『ありがとう』という意味。
生きていてくれてありがとう。
支えてくれてありがとう。
それは須尚さんが何度となく、小さな相棒にかけてきた言葉そのものである。


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