人と動物の絆が生んだ19年越しの奇跡

人と動物、言葉を交わすことはできなくても気持ちは時に通じ合い、目には見えない絆が生まれることもある。
そんな他人には見えない当事者だけの世界が間違いなく存在することを教えてくれた、ある女性がいる。
アメリカ・カリフォルニア州に暮らすリンダさん。


彼女は今から46年前、大学を卒業したばかりの頃、『ある動物』のプロジェクトに参加していた。
その動物とは…チンパンジー。
その前年、アメリカで『絶滅危惧種保護法』が制定され、乱獲の続いていた野生動物の輸入が禁止された。
これを受け、ガンやB型肝炎などの新薬開発のため、チンパンジーを使い動物実験をしていた各研究機関は、所有する個体を繁殖させ、数を確保しなければならなくなった。
しかし、研究所にいるチンパンジーは、赤ちゃんのときから実験のため個別に管理されていたため、他者と交流するということを理解せず、研究所内での繁殖は中々うまくいかなかった。


そんな折、とある大学の研究機関が『自然環境である無人島で生活させることで、野生を取り戻させ、繁殖させる』というプランを提案。
その後、政府からの補助金を得て、実行されることになったのだが、チンパンジーの世話をする現場スタッフは…2人だけ。
それも大学で動物行動学を学んでいたリンダと、大学院生のトニーという、素人同然の2人だった。
実はこのプランは、成功の確率やそれにかかる期間など未知数の部分が多いとされ、政府から出た補助金は少なく、専門家を雇うことができなかったのだ。


それでも…幼い頃から動物が好きで、中でも特にチンパンジーが大好きだったリンダは、プロジェクトへの参加を決めた。
無人島に出発するおよそ半年ほど前、リンダはプロジェクトで使用するチンパンジーを見にニューヨーク州の研究所を訪れた。
すると…チンパンジーたちは、真っ暗な中、汚臭と雑音の絶えない狭い檻で1頭ずつ隔離されていた。
人間は実験動物たちにより多くの恩恵を受けている…リンダは、だからこそ、チンパンジーたちに少しでも良い環境で生活してもらいたいと思った。


繁殖プロジェクトは、政府からのギリギリの補助金とニューヨークの研究所から譲渡された、およそ10頭の病気にかかっていない子供のチンパンジーで行われることとなっていた。
この時チンパンジーたちは、移住先である無人島へ行く準備として、新薬開発の実験から離れ、研究所内の空きスペースを借りて生活していた。
だが、彼らは人間や外の世界を恐怖し、怯えていた。
実は、彼らを捕獲する多くのハンターは、大人のチンパンジーは凶暴で生け捕りにするのは危険なため、赤ちゃんのチンパンジーを連れてきていた。
そして、彼らを安全に捕らえるために、育てていた母親はその場で殺してしまっていたのだ。


このままでは、とても自然環境で生活させるなど不可能。
そこで…リンダは、興味を引きそうな物を与えるなど、様々な試行錯誤を重ねた。
しかし…一向に恐怖心は拭えなかった。
それでもリンダはあきらめなかった。
リンダ自身の事もよく観察してもらおうと、何週間にも渡り、呼びかけ続けた。


すると…あれほど怖がっていたチンパンジーが近づいてきたのだ!
徐々にリンダ達を信用するようになり…数頭を同じケージに入れられるようにもなった。
チンパンジーと仲良くなり、それぞれがどんな性格かも知ることができた。
恥ずかしがり屋なメスのスウィングが、オスたちにバナナを独占され、食べられないでいると…利口なメスのドールは、オスたちからバナナを取り、スウィングにあげていたという。


こうして、無人島行きの準備はできつつあった。
そんな矢先、事件が起きる。
出発の3日前、あらかじめ移住先に送っていた機材や物資がすべて紛失してしまったのだ!
どこかで盗まれてしまったと考えられた。
今のように、追跡番号などがある時代ではなく、どこで誰が盗んだのかもわからず、また保険にも加入していなかったため、泣き寝入りをするしかなかった。


その結果、プロジェクトの中止が決定されたのである。
元々、研究所の個体を自然環境に戻すという試みは、成功するかどうか確証がなかったため、政府からの支援もわずかだった。
機材などをもう一度購入する予算を捻出できるわけもなく、やむなくプロジェクトは中止となったのだ。


そこで、リンダたちは近隣の州も含めた自然環境が整う、サファリパークなどに片っ端から連絡し、彼らが住める場所を探し始めた。
研究所でもちょうどその頃、チンパンジーを使う実験が一段落したところで、絶対返して欲しいということではなかったため、彼らの移住先を見つけ、彼らが良い環境で生活できるようになるまで、面倒を見ることにしたのだ。


すると、およそ2000km離れたフロリダ州のサファリパークに、チンパンジーも棲めるスペースが偶然にも1つ空いており、数ヶ月という短期間に限り、場所を貸してくれることになった。
そこは、水に囲まれたエリアで、魚や昆虫、カバなどの動物も暮らす、とても自然に近い環境だった。
さっそくチンパンジーたちを連れ、2000kmの距離を36時間かけ移動した。


そして、新たな生活がスタートした。
リンダたちは、毎日新鮮な野菜や果物を与え、何かトラブルが起こっていないか、注意深く観察した。
時には…カバがエサを横取りしてしまうこともあった。
しかし、餌を与える以外、極力手は出さなかった。
サファリパークの自然環境に適応するには、必要以上の手出しは彼らのためにならない。


とはいえ、命に関わる問題も…研究所ではノズル式の給水機で水を与えられていたチンパンジーが川から水が飲めないでいたのだ。
そこで、チンパンジーに水の飲み方を理解させることにした。
すると、なんとか『コップから水を飲める』ということは理解してくれた。
だが、コップに入った水を飲むばかりで、自分で川から飲もうとはしなかった。
そこで、水が入ったままのコップを川に沈めてみると…川の中にあるコップを目指し口を近づけたのだ。
その結果、川に水があることを理解し、コップをどけても川の水を飲めるようになった。


そんなある日、利口なメスのチンパンジー、ドールが倒れて動かなくなっていた!
リンダはドールを抱えて、病院へ運んだ。
ドールは、川の中のバクテリアに感染しており、数日間に渡り注射を打つ必要があったのだが、落ち着かず、注射を打つことができなかった。
だが、リンダが近づくと…ドールは落ち着きを取り戻した。
そして、抗生物質を注射することができ…体調は回復、元気になった。
こうして、チンパンジーたちは日に日に、環境へ順応していった。


だが、リンダたちは、チンパンジーの正式な移住先を見つけなければならなかった。
サファリパークは数ヶ月という約束で、場所を貸してくれているに過ぎず、一刻も早く代わりの地を見つける必要があった。
そこでリンダたちは…寄付を募ることにした。
別のサファリパークや自然保護区に受け入れてもらうにも、場所の使用料など多額の資金が必要だったのだ。
すると…その活動が注目を集め、地元新聞の記事になったこともあり、徐々に寄付が集まりだした。
それでも、広大なサファリパークは土地の使用料も高額で、そこまでの金額はなかなか集まらなかった。


だが、リンダたちの献身的な行いを見てきたサファリパークが、無期限で土地を使用することを許可してくれた!
さらに、園内の他の動物たちと同じように、世話もしてくれることになった!
こうして、ついに安住の地を得たチンパンジーたち。


それから4年後、これ以上特別な世話が必要ないと確信したリンダは、サファリパークを去る事にした。
その後は、動物保護団体とともにチンパンジーの健康改善や保護を目的とする活動などを精力的に行った。
リンダは、その間もサファリパークのチンパンジー達を片時も忘れることはなく、時折 見に訪れた。
だが、すでに彼女は部外者であり、チンパンジーたちも成長し大人になっていたため、安全上の問題から、遠くから眺めることしかできなかった。
無事、環境に適応し野生化した彼らは、人間の元で過ごした過去など感じさせず、自然を謳歌しているようだった。


そしていつしか、別れから19年の歳月が流れていた。
ドキュメンタリー番組「Nature」が、リンダとチンパンジーの事を知り、再会してみないかと打診してきたのだ。
別れからすでに19年…野生に戻ったチンパンジーたちが自分のことなど覚えているはずはない。
野生化し、力強いあごと鋭い歯を持つ彼らに、知らない人間が近付けば、身の安全は保証されなかった。
それでも、リンダはチンパンジーたちに会いに行くことにした。


オスのチンパンジーは力も強く危険すぎるため、さすがにサファリパーク側からも許可が下りず、今回の対面のためにセッティングされたのが、恥ずかしがり屋なスウィングと、病院へ抱えて運んだドールの2頭だった。
2頭も水辺の反対側に立っている人間に気がついたようだった。
19年越しの対面…スウィングとドールがやって来て、リンダとハグ。
チンパンジーは知らない人間に こんな態度を取らない。
リンダと彼らの関係は何も変わっていなかったのである!


感動の再会を経て、リンダはより一層、チンパンジーたちの保護に力を注ぐようになった。
そして再会から5年後の2004年、ルイジアナ州で非営利動物保護施設『チンプ・ヘブン(Chimp Haven)』を設立。
チンプ・ヘブンは、伝染病研究の実験などに使用されていたチンパンジーの中で、不要になり行き場を失ったものを保護する活動をしている。
現在までに、300頭近くのチンパンジーを保護したという
現在、リンダは基本的には引退したが、時々、動物の保護活動に参加している。
また、今までの体験についての本の執筆もしているという。


現在、アメリカではチンパンジーを使った研究は、彼ら自身にとって役に立つ目的のもの以外は禁止されている。
また、動物福祉法により犬や猫などの動物を実験に使う場合、その扱いなどは、定められた基準にしたがう必要があり、数を報告する義務がある。
その一方、鳥やネズミなど、現在も法律の規制や査察の対象にはなっていない動物たちも数多い。


リンダさんは、最後にこう話してくれた。
「私は幼い頃から動物が好きでした。ですが、父が医者だったこともあり、医学や科学には動物実験が必要である事は分かっていました。動物実験によって、人間は多くの恩恵を受けてきたからです。そのため、実験が完全に無くなることはないのかもしれません。ですが、どんな動物もそれぞれ違った個性を持ち生きています。だから、私たちは一頭一頭に敬意を払い接することが大切なのです。」


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