死因究明のプロ 実録!法医学者の事件ファイル

近畿大学医学部 法医学教室 解剖室、ここで法医学者として40年近く、およそ2万人の検死を行なってきた巽信二(たつみ しんじ)教授。


『溺死!? 遺体が語る事故の真相』
巽教授のもとに、死因がはっきりしないある遺体の解剖依頼がきた。
警察によると、通報したのは被害者の友人の男性。
死亡した男性は猫とジャレているうちに誤って池に落ちてしまったという。
友人は助けようとしたが、暗闇でよく見えず、救出できなかったという。
池に落ちた男性は、駆けつけた警察によって引き上げられたのち、死亡が確認された。


通常、遺体がある現場では、まず臨場検視官が呼ばれ、死因を推定する。
今回 警察は、現場の状況や友人の証言から不慮の事故による溺死の可能性が高いと考えたが、念のため、法医学者である巽教授に司法解剖を依頼したのだ。


巽教授は、メスを入れる前にまず体の表面を注意深く観察。
遺体には目立った傷は見当たらなかった。
溺死の場合、1分ほどで呼吸が困難となり、水を飲みつつ、次第に意識がなくなっていき、体の痙攣が起こる。
体の重心は胴体の中心、ヘソよりこぶし1つ分上、そして前側の位置にあるため、うつ伏せで漂う。
こうして溺死に至るまで、5分から8分程度とされる。


死後うつ伏せの状態が続くと、血液は重力により、体の前面部に移動していく。
すると、頭部や体の前面部が赤くなる。
こうした現象を死斑と呼ぶ。
遺体の死斑は、頭部や体の前面にあり、溺死の場合と矛盾はなかった。


しかし、遺体を裏返してみると…背中の腰から少し上のあたりに水平方向に一本、赤い痕があり、さらに左肩にも小さな痕が見られた。
すると巽教授は遺体を仰向けに戻し、眼球を調べ始めた。
まぶたを開けてみると、眼球全体が真っ黒になっていた。


メスで胸を開くと、横隔膜が下がっていた。
肺は自分の力で膨らんだり縮んだりできず、収縮させているのは横隔膜である。
横隔膜が下がることで肺に空気が吸い込まれ、上がることで吐き出される仕組みになっている。
解剖時に横隔膜が下がっているということは、酸素を吸い込もうとして亡くなったということを現している。
無論、溺死でも酸素を吸い込もうとして亡くなるため、横隔膜は下がる。
そこに不自然なことはない。


ところが、巽教授は窒息死ではあるが、溺死ではないと判断した。
溺死の一番の特徴が現れるのは、肺。
溺れて空気を吸い込もうとして水が入り込むのだが、遺体の肺からは池の水は発見されなかったのだ。
巽教授が見抜いた事故の真相とは?


巽教授は、遺体の顔の赤さは死斑より濃い赤色だと感じていた。
さらに遺体の眼球は、内出血により真っ黒になっていた。
顔の赤さは死斑だけではなく、頭部のうっ血によって起こされたものだった。
このことから、死因は溺死ではなく、首を締められたための窒息死と判断したのだ。


首の左右には、脳に血液を送っている動脈と、脳の血液を心臓に戻す静脈が並んで走っているが、動脈の壁は厚く、静脈の壁は薄い。
そのため、首を圧迫すると静脈の流れはすぐに止まるが、動脈の流れは完全に止めることはできない。
結果、入ってくるだけで戻ることができなくなった血液は、頭部に溜まり、顔面がうっ血し、赤くなる。
その時、目の毛細血管が切れて、死後、やがて眼球がどす黒く変色する。


遺体の背中には、腰の少し上と肩に痣があった。
その痣を見て、巽教授は現場に『柵』があると確信したという。
刑事が確認してみると…巽教授の予想通り、現場には腰ぐらいの高さの柵があった!


巽教授はこう推察した。
被害者は池のそばにあった手すりに寄りかかっていた。
犯人は背後から近づいて、左手で左肩を掴み、右腕を回し、思いっきり下に引っ張った。
被害者は背中を柵に当てた状態でのけぞるようにして首を締めあげられた。
その時、背中には金属の手すりが、左肩には犯人の手が食い込み、内出血を引き起こした。
首を絞めた腕は、太くて表面が柔らかいため、絞めた痕は残らない。


その後 間もなく、事件の真相が明らかとなった。
犯人は、被害者にいつも使いっ走りのように、こき使われていたという。
殺人が起きた日…無理難題を言われ、バカ呼ばわりされ、柵に寄りかかっていた被害者の無防備な姿を見ているうちに不意に殺意がわき、首を絞めて池に突き落としたのだという。


『不可解な連続死! 警察を翻弄する凶悪犯』
ある日、刑事が巽教授の元に相談にやってきた。
ある男の周りで次々に人が消えているというのだ。
その男の手口は、知人に借金をさせ、その金を巻き上げてから殺して埋めるというもの。


警察は様々な状況証拠でその男を問い詰めた。
男は埋めた場所を自供した。
ところが…発見されたのは白骨化した遺体だった。
埋められた遺体は時間と共にバクテリアなどにより分解され、白骨化する。
そうなると、殺人かどうか死因を鑑定するのは、ほぼ不可能だった。


現在、殺人事件の時効は撤廃されているが、実は死体遺棄の場合は3年で時効となる。
疑惑の男は、遺体は埋めて3年以上経てば白骨化し、殺人の証拠はなくなってしまうことを知っていた。
これまで男の周りでは、6人もの人が行方不明になり、遺体となって発見されていた。
だが、いずれも白骨化していたため、犯行の証拠を掴むことはできなかった。


しかも、埋めてから3年以上経過し、時効が成立。
殺人はおろか、死体遺棄でも罪に問うことはできなかった。


それだけではない…過去に男は殺害を認めたこともあった。
ところが、裁判に向けた手続きの中で、証言をひっくり返して「警察に無理やり自白させられた。人権侵害だ。」と言い出したという。
さらに、男の弁護士も物証などはっきりした証拠の提出を要求。
結局、警察や検察は男の犯行を証明することができず、翻弄され続けていた。


だが、疑惑の男は巽教授が担当するエリアで事件を起こしたという。
1年前、知人男性を海に突き落とすところを目撃されたのだ。
だが、警察が駆けつける前に被害者を引き揚げて車で運び去り、姿をくらましたようだった。


だが、警察はあらゆる手を使い、男の居場所を突き止め、逮捕にこぎつけた。
男は被害者男性が海で溺れて死亡したため、遺体を引き上げ、埋めたと供述した。
男が死体遺棄を自供したのは…遺体の場所はいずれ警察に突き止められると考え、死体遺棄罪は認めたほうが裁判で有利になると考えたからだった。
死体遺棄罪の懲役は3年以下、警察としてはなんとしても男を殺人罪で逮捕したいと考えていた。


疑惑の男は…遺体に関しては1年経過しているため、白骨化していると考え、海で溺れさせた痕跡は残っていないはずだとふんでいる。
海に突き落とした目撃情報はあるものの、決定的な証拠がないため、裁判で言い逃れをされれば、罪に問えない。
警察は臨場検視官立ち合いのもと、慎重に手掘りで発掘作業を行った。
だが…遺体は完全に白骨化していた。


それでも、遺体を巽教授の元に運び、検死を行った。
ちょうど肺の位置にカステラのような塊が2つあった。
巽教授は、傷んで脆くなっている肋骨を一本一本手で外していった。
そして、謎の塊を取り出した。


巽教授はサンプルを作って、同じ近畿大学医学部の病理の専門医に謎の塊の分析を依頼した。
病理医とは、顕微鏡で細胞や組織を観察することによって、病気の原因や過程を診断するプロである。
巽教授にはこの塊が何なのか心当たりがあるという。
それを確かめるために分析を病理医に依頼したのだ。
巽教授が見抜いた謎の塊の正体、これこそが疑惑の男の犯行を裏付ける決定的証拠だった!


分析結果を受け、巽教授は、遺体の死因は溺死だと断定した。
なぜ巽教授は溺死と判断したのか?
実は、謎の塊の正体は…肺に入り込んだ海水に含まれていた動物性プランクトンであることが判明。
つまり、海で溺死した証拠だったのだ!


巽教授は、謎の塊の正体について、こう推測した。
遺体が白骨化している以上、それは肺ではない。
しかし、発見された位置から何らかの生物が肺の組織をエサにして分解、変化させたモノの塊なのではないかと。
そして分析の結果、土の細菌類に混じって、海の中に住む動物性プランクトンが大量に発見された。


もし生きていた場合、鼻や口から入った海水は、胃に流れる。
気管に流れても反射的に吐き出すため、肺の奥まで入ることはほとんどない。
しかし、溺死の場合、意識のなくなった段階で海水が大量に肺に流れ込む。
肺の位置からあれだけの大きさの塊が発見されたということは、そこに海に潜むプランクトンが大量に存在していたことを意味する。
すなわち、肺に大量の海水が流れた証拠であり、溺死を決定づけるものだった。


疑惑の男は裁判で殺害を否認した。
しかし、目撃証言があったこと、さらに、溺死を証明した巽教授の鑑定が決定的な証拠となり、殺人と死体遺棄の罪で無期懲役が言い渡された。


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