誰にも言えない秘密 過酷な運命に翻弄された少女

誰にも言えない秘密 過酷な運命に翻弄された少女


あなたには、誰にも言えない秘密がありますか?
一見、快活で幸福に満ちたこちらの女性。
実は彼女には、過去6年間、家族以外、ほとんど誰にも打ち明けていない秘密があった。
今から19年前、大阪で生まれた海音(アマネ)さん。
5歳のときにキッズモデルとしてデビュー。
将来の夢はもちろん、プロのモデルになること。
さらに10歳になると、アイドルユニットにも参加。
順調に夢への階段を登り続けていた。


それは今から7年前のことだった。
翌年から始動するアイドルの新ユニットで、センターを任されることになった。
だが…その一方で実は彼女は、この頃から謎の関節痛に悩まされていた。
やがて関節痛だけでなく、40度近い発熱や突然の鼻血など、症状は悪化の一途を辿った。
だが、それでも…彼女はレッスンに参加。
そして翌年の1月に開催された、新ユニットのお披露目ライブでセンターとしてステージに立ち、見事にその大役を果たした。


だが…ステージが終わると、海音さんは倒れてしまった。
その後、大学病院で行われた精密検査で、彼女が侵されていた病気が明らかになった。
多発血管炎性 肉芽腫症(たはつけっかんえんせい にくげしゅしょう)。
血管に対して異常な自己免疫反応を示してしまう、現在でも原因が特定できない難病。
直ちに命に関わる病ではないが、重症化すると血管が詰まって臓器障害を起こしたり、体の一部が壊死したりすることがあるという。


事実、入院してから程なく、海音さんの足も壊死が始まると、あっという間に右足が墨のように黒くなっていった。
このまま放置すれば、激しい痛みとともに壊死も広がっていく。
海音さんのケースではもはや…切断するしかなかった。


海音さんは、義足をつけて懸命にリハビリに励んだ。
そして…手術からおよそ1年後には、退院を果たすことができた。
だが…それは新たな苦悩の始まりだった。
実は、退院当時、海音さんは薬の副作用で体重が30キロも増えていた。
学校に行けば同級生に、今の自分と以前の自分を比較される。
そう思うと登校もできなくなった。
実は退院からおよそ2年の間、彼女が正面を向いて写った写真はほとんど存在しない。
かつて誰よりも写真を撮られることが好きだった少女は、完全に別人のようになってしまった。


そして時は流れ…海音さんはほとんど通うことなく中学を卒業。
最後まで同級生に義足のことは隠し通し、その後、週に2回だけ通学する通信制の高校に進んだ。
そんなある日のこと…主治医から『メイクアウィッシュ』という団体があることを紹介された。
メイクアウィッシュとは、難病の子どもたちの願いを叶える活動を行う、ボランティア団体。
これまで世界中で実に50万人以上の子供たちの夢の実現を手伝ってきた。
主治医は、ずっと塞ぎ込んでいた海音さんを何とか元気づけたいと、提案したのだ。


彼女が選んだ夢は、あれだけ嫌いになっていた写真を撮ってもらい、もう一度だけモデルをやることだった。
そして迎えた撮影日、当日。
カメラマンがやってきた。
実はこの人物こそ…海音さんがずっと憧れ続けた女性…写真家・映画監督の蜷川実花さんだった。


最後に最高の思い出ができた、そう思った。
だが、撮影終了後、蜷川さんがこう言った。
「海音ちゃんさ、これで最後にしないでモデル目指せばいいじゃん。」
その時だった…蜷川さんに用があり、偶然その場に居合わせた男性が、海音さんにイベントのオーディションがあることを伝えた。
そのイベントとは…史上最大級のファッションフェスタ、東京ガールズコレクション。
トップモデルや芸能人が、華やかにランウェイを歩くイメージが強い、この東京ガールズコレクション。
実はその一方で、新たなスターを発掘するためのオーディションも行っている。


蜷川さんの言葉もあり、海音さんは義足であることを隠して、オーディションに挑戦することを決意した。
すると、他の応募者や審査員に義足であることを気づかれないまま、一次選考、二次選考と順調に突破し…ついに応募者約20000人の中から、当日ランウェイを歩けるファイナリスト8名を選ぶ、最後の49名に残ったのだ。
だが夢まであと1歩と迫ったその選考で、惜しくも落選、涙を飲む結果となった。


こうして、彼女の挑戦は終わった。
だが、これを機に、海音さんは少しずつ以前の明るさを取り戻していった。
依然として友達に義足であることは伝えられなかったが、それでも学生生活を満喫していた。


そんな高校3年生の秋のことだった。
この日、東京で義手や義足を作る義肢装具士、臼井二美男さんの元を尋ねていた。
そこで、臼井さんから、写真家の越智貴雄さんを紹介された。
越智さんは、義手や義足の人たちをモデルにする専門の写真家だというのだ。


写真集に写っている光景は彼女にとって信じられないものだった。
モデルたちはみな、装飾を施した義足をつけ、町や風景に溶け込んでいた。
そして何より、全員がとても生き生きとした表情で、まるで義足であることを楽しんでいるかのように見えた。
そして…海音さんはモデルを引き受ける決意をした。


だが、引き受けたものの、いざとなると踏み切れない思いに悩むこともあった。
しかしその度に、越智さんがはるばる東京から訪ねてきて背中を押してくれた。
そして今年、海音さんはついに越智さんの作る切断ヴィーナスの撮影に参加。
その後、出来上がった写真を見て、改めて価値観がひっくり返ったという。


そして3ヶ月前の8月25日。
コロナの影響がなければパラリンピックの開会式が行われる予定だった、この日。
越智さんと親交のある義足モデルたちが集結し、「切断ヴィーナスショー」という名のファッションショーが開催された。
そのトップバッターとしてランウェイに登場したのが、秘密から解放され、自信に満ち溢れた表情の海音さんだった!
この日のショーはテレビのニュースでも放送され、彼女の元には、友人知人からの連絡が殺到したという。


かつては苦しみの象徴でしかなかった義足。
しかし今は胸を張ってこう言える。
「自分にしかない個性だと思う。たくさん痛い思いとか、辛いこととか経験してきたから、少しは強くなったかなって思います。」


モデルとして再始動を果たした海音さん。
8月のカミングアウト以来、順調に雑誌やモデルの仕事も増えている。
そんな彼女が今、改めて感謝をしている人物がいるという。
それが…カメラマン越智貴雄さん。
2000年のシドニーオリンピックから、パラアスリートの写真を撮り続ける、著名な人物である。


そんな彼が一体なぜ、義足を隠してきた海音さんをモデルとして起用することに、そこまでの情熱を燃やすことができたのか?
越智さんはこう話す。
「目指す人っていうのがなかなかいないんですよ。障がいのある人で憧れる存在の人っていうのが本当に少ない。憧れる存在の人がいるっていうのは、やっぱり強いモチベーションになるんですよね。だから、海音さんがどんどんどんどん活躍することによって、変わっていくんじゃないかな、と。」


日本にはこれまでほとんど存在しなかった義足モデル。
自分がそれになることで、世界が変わる。
その言葉に海音さんの心は大きく動かされたという。
そして、そんな海音さんには今、目標とする人物がいる。
義足モデル、エイミーマリンズさん。
先天性の病気で両足を切断しながら、モデルや女優として活躍。
以前、番組でも紹介した、ハリウッド映画などにも出演する本物のセレブリティだ。


日本版のエイミーマリンズになる…それが海音さんの目標だという。
そして実は今回、彼女がデビューするにあたって、お祝いのメッセージを送りたいとビデオレターを送ってきた人物がいた。
その人物とは…そう、エイミーマリンズさん本人!
「ハーイ、海音!エイミー ・マリンズです。今日は11月1日 日曜日。実は、イギリスにあるとても美しい日本庭園にいます。残念ながら日本ではありませんが。ここで、あなたのことを想い、これからの成功をお祈りしています。これからも、あなたの活躍を本当に楽しみにしています。あなたにはとても沢山の可能性が待っていることを忘れないでね。遠くからへキスを贈ります。いつかあなたに会えるといいなと思っています。海音、元気でね。」


エイミーさんから激励のメッセージを受け取った海音さん。
最後に、彼女に今後の目標を聞いてみた…
「エイミーさんから勇気をもらったように、自分も誰かに勇気をあげられるような存在になりたい。」
義足モデルとして再出発を果たした海音さんをアンビリバボーはこれからも応援していきます。


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