最強アニマル&仰天グルメ! 幸せ全開 3時間SP

最強アニマル&仰天グルメ! 幸せ全開 3時間SP


アンビリ 仰天グルメSP


【ファストフード大国、世界最大の○○○】


アメリカ・ミシガン州の店に、驚愕の一品が!
それが…重量4.5キロの巨大ハンバーガー!
普通のサイズのおよそ20倍。
お値段50ドル、日本円でおよそ5500円。
1時間で食べ切れば100ドルと、Tシャツが貰えるという。


しかし!さらにアンビリバボーなハンバーガーがこの店には存在する!
それが、総重量813キロ!
超弩級の巨大ハンバーガー!
実は、このハンバーガーを作ったのには、ある理由が…
「5年前、ハンバーガーが大好きだった妻を亡くしました。1年後、まだ落ち込んでいる子供達に笑顔になってもらおうと、特大のハンバーガーを作ることにしたんです。」
その結果…「商品として販売された世界で最も大きいハンバーガー」として、ギネス世界記録に認定!
子供たちもとても喜んでくれたという。
ちなみに、お値段なんと109万円!
今も販売しているが…これまで注文を受けたことは、ない。


【全然「小」じゃない!? 大きすぎる中華料理!】
カリフォルニア州にある、中華レストラン。
ここに、驚きの名物メニューがあります。
それが、こちらの巨大小籠包!
通常サイズの100倍!重さ実に3キロ!
そして、この小籠包、食べ方にも特徴が!
太いストローを刺して、肉汁を吸っちゃうスタイル!
中は熱々なので、ご注意ください。


【超ハイカロリー!イギリスの爆盛りメガ朝食!】
イギリスのガッツリ系朝食が食べられると評判のこのお店。
出てきたのは、英国式・爆盛りブレックファースト!
こちらのお店、9年前のオープン時からお客に楽しんでもらおうと、巨大メニューを始めたのだが…客が食べ切る度にグレードアップ!
今年の夏から提供しているのは、ジャンボソーセージ15本、ベーコン15枚、ハッシュドポテト15個、目玉焼き15個、普通のトースト15切れ、油で揚げたバター入りパンが15個、プディング15個、キノコソテー15人前、ベイクドビーンズ15人前、ホールトマト15人前、この一皿で成人男性が1日に必要とするエネルギーの6倍以上!
17000キロカロリーもあるんだとか!
お値段、日本円でおよそ7000円。
食べきれたら無料になるのだが、現段階で、チャレンジに成功した者は…いない。


【揚げるのに一苦労!? 調理時間がかかりすぎる○○○】
ブラジルにある小さなレストラン、ここに大きな話題を呼ぶ一品が!
果たしてそのメニューとは?
タケノコ型の大型コロッケ!
鶏肉などを芋から作った皮で包んだブラジルの家庭料理、コシーニャ…の巨大版で、重さは5キロ!
その大きさゆえ…とにかく揚げる時間が長い!
撮影時には、なんと40分もかかった。
待ち時間が長いので、早めの注文をオススメします。


【元々は食べ物屋さんではないのに ミシュランガイドに掲載された激ウマ グルメ店】
鳥取砂丘から車でおよそ30分の場所にあるそのお店を訪ねてみると…看板には、自動車販売の文字!
こちらは自動車販売店 ホット・エアー。


店主の吉田さんは、高校を卒業後、自動車販売の道へ進み、37歳で独立、自動車販売店を開業した。
その後、結婚、長男が誕生し3歳を過ぎた頃…突然、料理を始めた。
その理由は…吉田さんの母親が料理が苦手だったから!
自分の子供には同じ思いをさせたくないと思ったのだという。


以来、自動車販売のかたわら、独学で研究を重ねること10年以上。
完成したのが…こちらのラーメン。
材料はすべて無添加にこだわり、鶏ガラやいわしの煮干しなどで出汁をとった淡麗スープ。
麺は、特注の平打ち麺。
そこに…ジューシーな肉質と旨味が人気の鳥取ブランド、大山豚を使用したチャーシューをトッピング。


何度も試作を重ねたこのラーメンを自動車販売店にもうけた厨房で作り、車を購入したお客さんにサービスで振る舞うようになった。
すると…ラーメンの評判が徐々に高まり、自動車販売店が本業にもかかわらず、ミシュランガイドにビブグルマンとして掲載されるまでに!
ちなみにコロナ渦以前は、1日最大180人が訪れることも!


【高級食材のオンパレード!世界一の○○○】
アメリカ・ニューヨークに店舗を構える、『セレンディピティ・スリー』。
今年7月、全米を揺るがす、驚きのメニューを発表しました!
それが、こちらのフライドポテト。
何がそんなに驚きなのかというと…まず、素材となるのはフライに最適と言われる、チッパーベックポテト。
その上に、トリュフ塩、トリュフオイル、トリュフ入りの高級チーズを振り掛けます。
さらに、溶かしたトリュフバターを添え、イタリア産の高級トリュフをあしらうという、まさにトリュフ尽くし!
そして、最後に振りかけられるのは、23カラットの金箔!
こうして完成したのが、この超高級フライドポテトなんです。
一皿のお値段、日本円で…およそ2万円!


【黄金に輝く!超セレブなスイーツ!】
ドバイのスイーツ店で話題を呼んでいるのは…厳選したチョコレートやイチゴなどの高級食材をこれでもか!と言わんばかりの、金粉・金箔で包んだゴールデンなカップケーキ。
お値段、およそ…10万円です!
優雅なティータイムにいかが!?


【贅沢が過ぎる!? 高級食材を挟みまくった○○○】
オランダにある一見カジュアルなお店。
A5和牛を使用したパテにイベリコ豚の生ハム、タラバガニ、さらにキャビアや白トリュフまで使用し、完成したのは、超高級ハンバーガー。
バンズがお決まりの金箔に包まれ、お値段…およそ60万円!
高くて、あんぐり。


【誰が頼むの!? 庶民には手が出せない高級グルメ!】
こちらはメキシコの一流ホテルの中にあるレストラン。
メキシコ料理といえば、タコス。
現地では、1個200円程度で食べられるのですが…こちらでは、神戸牛、ロブスター、黒トリュフチーズ、キャビアを大胆に使用。
そして、もはや見慣れた金箔もふんだんに乗せ、贅沢尽くしのタコスの出来上がり。
お値段は、驚愕の270万円也。


【アメリカ大統領が激ハマりしたグルメ】
ロサンゼルス在住の超マッチョな男性、ラッシュさん。
元軍人の彼は、かれこれ20年以上、毎日2000回を超える腕立て伏せを欠かさず、肉体を維持しているという。
その一方で、4人の大統領の元で、シェフとして腕を奮った料理人でもある。


そんな彼が作る、オバマ元大統領の大好物というのが…オーガニック若鶏の鉄板焼。
ホワイトハウスに菜園を作るほど健康志向のオバマ氏にはオーガニック食材の鶏肉料理。
そしてトランプ前大統領には、ほうれん草のトルティーヤをボウルがわりに、ひき肉、トマトなどを乗せ、サワークリームを添えた、メキシコ風タコボウル。
大統領が愛したのは、文字通り、凄腕のシェフによって作られる、激ウマグルメだった。


【不死鳥のごとく復活した伝説のグルメ】


東京・西早稲田、早稲田大学のお膝元のこの街に伝説のグルメを出す店がある。
それがこちらのメーヤウ。
辛くて元気になる伝説のグルメが…多い時には1日最大300食も売り上げたカレー。
これが早稲田大学のOBが愛してやまないグルメ。
一番人気がこれ、チキンカリー!
サラサラとしたルウにチキンが一本入ったオーソドックスな一皿。


多くの人に愛されるメーヤウ。
ところが今から4年前、実は一度、閉店していた。
「失望感がすごかったですね。言葉にならないくらいショックでした。」
そう語るのは、高師雅一さん。
実は彼も早稲田大学のOBで、この店で食べたカレーは軽く1000食を超えるという、メーヤウの熱狂的ファンだった。


突然の閉店から1年あまり、彼のもとに朗報が舞い込んだ。
メーヤウが1日限定で復活するというのだ。
そして復活した店舗を訪れた高師さんは、そこで思わぬ情報を耳にする!!
メーヤウを閉店した理由は後継者がいなかったからだというのだ。


高師さんは、この話を聞いて一念発起。
元店長の連絡先を知らなかったため、放置されたままだったお店のTwitterにメッセージを送った。
『私自身が現在の職場を離れてでもメーヤウを再復活させたい。』
しかし…やんわりと断られてしまった。
メーヤウを復活させる、高師さんの熱意は空振りに終わった。


ところが、一週間後、突然 テレビ電話がかかってきた。
その相手は…高師さんの電話番号を知るはずのない、メーヤウの元店長からだった。
しかも…元店長も、高師さんの電話番号を知らず、自分から電話をかけてはいないという。
つまり互いに連絡先を知らなかったにも関わらず、なぜか電話が繋がったのだ。
今でも理由はわからないが、ミステリアスな奇跡が起こっていたのだ。


そこで、高師さんは、このチャンスを逃すまいと、電話で「メーヤウ」復活への思いの丈を元店長にプレゼンした。
こうして高師さんが跡を継ぎ、昨年、メーヤウは復活。


高師さんはこの店の味を守り続けるため、現在も会社員として働きながら店を経営している。
不死鳥のごとく復活した伝説のグルメは、ファンの熱意と謎の電話によって蘇った激辛のカレーだった!


クイズ! あの料理のアンビリバボーな誕生秘話


【煉瓦亭が発祥の誰もが知る料理とは?】
創業126年を誇る東京銀座・『煉瓦亭』。
ハヤシライスやポークカツレツ発祥のお店とも言われている、このお店。
実は日本で最初にエビフライを提供しただけでなく、洋食につけ合わせるキャベツの千切りを考案したことでも知られています。
そしてもう一つ、煉瓦亭が発祥の誰もが知る料理があるんです。


今から約120年前、厨房では、若いコックたちが、ある料理の練習を繰り返していました。
その料理の食材は、当時としては高級品であり、捨てるなどもってのほか。
そこで、コックたちはその料理をアレンジして、まかない食として、自分たちで食べることにしました。


すると…お客さんに「何、あれ? 僕にも食べさせてよ」と言われました。
こうして、正式なメニューとなったのです。
ここで問題です。
まかない食だったこの料理が、その後 今の形に変化したのですが、誰もが知るこの料理とは、一体なんでしょう?


これが発売当初の姿。
もう見覚えのある形になっていますね。
材料として卵とごはん、玉ねぎ、ひき肉などが使われています。
その後、この料理はライスを卵で包む形に変化し、誰もが知るあの料理になりました。
というわけで、正解はオムライスでした。


【あの大人気スイーツのアンビリバボーな誕生秘話】
今から18年前、大阪・堂島に一軒のケーキ店が開店。
一番人気となったのは、ロールケーキ!
でも、当時はまだ普通のロールケーキでした。
そんなある日、想定外の事態が起こり、それによって誕生したのが、堂島ロールだったのです。
一体、どんな事態が起こり、堂島ロールが生まれたのでしょうか?
皆さん、わかりますか?


堂島ロール誕生の裏には、意外な事情がありました。
きっかけはロールケーキの予想外の人気。
ロールケーキが売れすぎて、スポンジ生地が足りなくなってしまったのです。
そこで社長は、スポンジが足りないのならその分クリームを増やせばいい、そう考えたのです。
こうして生まれた堂島ロールは、見た目のインパクトと、甘さを控えた生クリームの美味しさが相まって、瞬く間に誰もが知るスイーツに!
というわけで、正解は「スポンジ生地が足りなくなってクリームを極限まで増やした」でした。


【日本の食を大きく変えた女性】

見ているだけで、食欲がそそられる、中華料理。
今や、日本人に欠かせないグルメとなっているが、皆さんご存知だろうか。
中華料理が、これほど全国の一般家庭に広まった裏側には…一人の日本人女性の存在があった事を。


今から88年前、一人の少女がこの村に連れてこられた。
小堀洋子、当時3歳。
彼女は、酒店を営む両親と東京で暮らしていたのだが、母が病気になったため、親戚の家に預けられる事に。
だが、両親が迎えに来ることはなく、気付けば、その家の養女となっていた。
親戚は、洋子を本当の娘の様に育ててくれたのだが…『親に捨てられた』という思いが消えることはなかった。


そして19歳になった彼女は、ある決心をする。
それは、東京で自立した生活を送るという事。
都会に出て来た洋子は、中国人の要人が暮らす屋敷で、家政婦として働き始めた。
当然、その家では中国語が飛び交うのだが…洋子は、中国語も分からず、この仕事に就いていた。
それでも少しずつ言葉を覚えていき、2年ほどで日常生活に必要な中国語はマスター。


そして、上京して4年、彼女は別の屋敷で、新たに雇われた中国人コックの通訳をする仕事をすることになった。
そして このことが、洋子の人生を大きく変えることになる。
その料理人こそ…陳建民!
後に、中華料理の神様と呼ばれることになる人物だった。


後に東京・赤坂に『四川飯店』をオープンしたことにより、中華料理を日本中に広めた陳。
ちなみに息子は、かつて放送されていた番組、『料理の鉄人』でも活躍した…陳建一である。
しかし、中華の神様も当時はまだ来日2年目、全く無名の料理人だった。


初めて会った時、陳は洋子に一目惚れ!
こうして陳の通訳兼助手として、働く事になったのだが、陳は常に洋子にくっ付いて離れないようになった。
洋子には、彼がなぜ付いてくるのか、分からなかったのだが…働き始めて数週間後の事。
陳からプロポーズされたのだ!


だが、陳には、四川と香港に家庭があると言う!
実は、当時の中国は、経済力のある男性が数人の女性を養い、家族を持つことが出来る、事実上の一夫多妻制だったのだ。
中国人男性にとって、多くの妻を持つ事は、成功者の証でもあったのだ。
だが、洋子はこれを断った。


その後も、陳は毎日のように結婚を申し込んだ。
すると次第に、洋子もその状況に慣れていき、陳の事を可愛い人だと思うようになった。
さらに、料理に対して真剣に向き合う姿や、優しい一面を日々感じるようになった。


洋子が陳の元で働き始めて2ヶ月後。
陳は洋子の誕生日に赤い靴をプレゼント。
そして、プロポーズをした。
洋子はこのプロポーズを受けた。
この時の事を、彼女はのちにこう語っている。
「何か嬉しかったんだね。それでついそうなっちゃたんだねえ、赤い靴と一緒にさ。結婚してください、いいよって初めて言った。根負けってとこかな。」


出会ってわずか2ヶ月、2人は結婚。
その後、長女・高子、長男・建一という2人の子供にも恵まれた。
これで幸せな日々が送れる、洋子はそう思っていた。
だが、突然、陳がカナダに行きたいと言い出した。


実は、陳には若い頃から『放浪癖』があった。
一箇所に長く留まる事をせず、働く店も次々と変えている過去があったのだ。
その後も、彼は毎日のように『カナダに行きたい』と、言ってきかなかった。
家族になったのに、一家の主人が海外に行きたいなんていうことは洋子には信じられなかった。


実は、陳は中国の農家で、10人兄弟の末っ子として生まれていた。
父親が病死し、家族は離散。
母と貧しい生活を送っていた。
そして、10歳で母とも離れ、料理人として働き始めた。
家庭の温かみなど、ほとんど味わうことのないまま。


その結果、中国で結婚し家庭を築いても、家族を残して別の土地を放浪するような生活を送っていた。
仕事のためなら、それが当たり前。
いつしか陳は、そう思うようになっていたのだ。


そこで、洋子は陳に家族の愛情を知ってもらいたいと、暖かい家庭づくりに全力を注ぐことにした。
すると…いつしか、陳はカナダに行きたいと言わなくなった。
「夫に家族の愛を知ってもらいたい」そんな洋子の気持ちと行動が、陳を日本にとどめることになったのだ。


その後、陳は政界などの要人に向け料理を振る舞い、徐々にその名が知られるようになっていった。
そして結婚から5年。
日本中に中華の味を広めるきっかけとなった店、『四川飯店』をオープンした。
だが、洋子は料理を食べて、こう言った。
「この辛さ、普通の日本人だと受け付けないと思うわ。」
本場の中華料理は当時の日本人にとって、辛すぎたのだ。


それまで、陳が要人たちに四川料理を出していた時は、本場中国の料理が味わえることをステイタスに感じていた者が多く、辛さが問題になることはなかった。
だが…四川飯店は、中華料理に馴染みのない、一般のサラリーマンや家族連れがターゲットだった。
このままでは、多くの日本人は食べたがらない、洋子はそう感じたのだ。


例えば麻婆豆腐。
本場のものは黒い山椒がたっぷりと使われ、とても辛かった。
料理の中には、日本人の舌に合わないものもある。
そこで陳は、四川料理の看板をかかげてはいるものの、日本人向けにアレンジすることを決めたのだ。


また本場のエビチリも、豆板醤を大量に使用するため、日本人にとっては辛すぎた。
そこで…同じ赤さを出すため、ケチャップを使うことを思い付いた。
そこに卵を加え、まろやかにしたものこそが…今、我々が当たり前のように食べている『エビチリ』である!
さらに、洋子のアイディアをもとに陳がゴマ風味のスープを加え、完成させたものこそ、日本人が知るあの担々麺である!


さらに洋子は、思いもよらぬ行動に出る。
夫が中国に残してきた妻や、その子供たちを日本に招待し、再会させたのだ。
その後、陳建民は「美味しいものは皆が作れたほうがいい」と、自分のレシピを弟子たちに惜しみなく教えていった。
その結果、日本中に陳が考案した、日本人の口に合う中華料理が浸透していき…今や、我々の食卓にも欠かせない料理となったのだ。


そして、今から31年前に陳建民さんが、その8年後には洋子さんが天国へと旅立った。
二人亡き後、四川飯店は息子の建一さん、そして孫の建太郎さんが、その味を守り続けている。


陳建民さんが日本人流にアレンジした料理は、他にもある…それが回鍋肉。
実は本場四川のものはというと…キャベツではなく、葉にんにくが使われていました。
しかし葉にんにくは、当時、日本では入手しづらかったため、建民さんは代わりにキャベツを使いました。
それが今、私たちがよく知る回鍋肉になったんです。