大橋巨泉さん死去を「とくダネ!」が第一報…小倉が語る“師匠”の素顔
テレビの草創期を支え、司会者やタレントして長年、活躍し続けてきた大橋巨泉さんが、先週火曜日、急性呼吸不全のため、82歳の生涯を閉じたことを今朝の「とくダネ!」で報じた。71歳で胃がんが見つかり手術を行なったが、その後も次々とがんが見つかり、晩年は闘病生活を続けていた。
大橋巨泉さんといえば、大人の情報番組「11PM」の司会で一躍人気者になり、その後も「クイズダービー」や「世界まるごとHOWマッチ」など、数々の番組で名司会ぶりを発揮。そんな偉大な司会者と、とくダネ!キャスターの小倉は師弟関係にある。
小倉「巨泉さんがいなかったら、今『とくダネ!』の司会をやっていることもなかったと思うんですよね。本当に僕の師匠であり恩人。12日に亡くなったのを聞いて、相当、うろたえました」
おとといのお通夜で最後の別れをしたということだが、巨泉さんは痩せ細り、かつての面影はなかったという。
かつて巨泉さんと番組で対談した小倉をみても、いかに憧れていたかがよく分かる。
小倉「巨泉さんの真似して『こんなのやれるかー』って台本を叩きつけて、スタジオを出ていくくらいのことをやってみたいなと思いますけど、そういう意気地は僕にはないんですよ」
そして「巨泉さんがいなかったら、『とくダネ!』の司会をやっていることもなかった」と振り返った小倉は、「師・巨泉」を語り続けた。
小倉「普段は口うるさい人なんですが、最後は、ありがとうしか言わなくなってね。そして、言葉が出なくなってきたら手で3と9を作って『サンキュー』ってやったんだよねと奥さんがおっしゃっていた」
小倉「悪くなってきた時にご自分でもうダメだなって思ったんでしょうね。『ゴルフもできない、ワインも飲めない、原稿も書けない。俺、生きていてしょうがないよ』って、おっしゃったそうです」
小倉は先日、永六輔さんが亡くなった時、こんな予感をしたという。
小倉「永さんとは本当に親友で、ともに日本のテレビ界を引っ張ってきたので、永さんが亡くなられた時に巨泉さんも逝っちゃうんじゃないかなって。テレビの最後の出演が今年の徹子の部屋で、お二人一緒だったんですよ」
そして、巨泉さんの法名にまつわるエピソードも明かした。
小倉「巨泉さんの法名は『巨泉院』。歴史上の人物しか院号がつかないんですが、ご住職が『巨泉さんくらい活躍したらいいんじゃないですか?』とおっしゃって、それで、法名は『巨泉院釈克導』。“克”というのは巨泉さんが“克巳”という本名なので、そう名付けられた」
トークは巨泉さんと小倉の出会いまでさかのぼった。
小倉「今から40年前、ちょうど今頃、競馬場で声をかけられたんです。それまでは僕にとって雲の上の人ですから、話したこともなかったんですけど、『小倉くん、僕と一緒に競馬の仕事をしないか?』と声をかけられ、巨泉さんが初めて自分の事務所に入れてくれたのが僕だったんです」
小倉「焼肉屋を開く時に、『お前はバカだ。将来、困った時、焼肉屋に住むのか?家くらい持てよ』と言われた。僕はその時、賃貸暮らしだったので、このアドバイスで今の家を持った」
小倉を今の道へと導き、目をかけてくれたのが巨泉さんというわけだが、そんな師匠に対して「えっ!?」と驚かされることも数多くあったようだ。
小倉「『メガネを外せよ!』とか、『今、29歳で別居しているんだって?じゃ、離婚したほうがいいな。俺も29歳で離婚したんだよ』と言われて、その時は随分、乱暴な人だと思った」
まさに巨泉節。小倉の辛口コメントは、「師・巨泉」譲りなのかもしれない。
とくダネ!も、謹んで哀悼の意を表します。